世界広布の大道【新・人間革命 第8巻】

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大動 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第8巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は15日付、「御書編」は22日付、「解説編」は29日付の予定。

第8巻基礎資料

物語の時期
1963年(昭和38年)5月3日~1964年初頭

「布陣」の章

山本伸一の会長就任から3年、広宣流布は飛躍的な伸展を見せていた。1963年(昭和38年)5月3日の第25回本部総会を前に、伸一は、翌春の戸田城聖の七回忌に向かい、「今なすべきことは何か」を考える。そして、殉難も恐れず、民衆の幸福と人類の平和に生涯捧げた、牧口常三郎と戸田城聖の精神を伝え抜いていくことを決意する。本部総会では、組織が拡充され、新たな人事も発表されるなど、大前進の「布陣」が整えられていく。6月、人類初の女性宇宙飛行士テレシコワを乗せた人工衛星打ち上げのニュースが世界を駆け巡る。伸一は、女性が社会の第一線で活躍する時代の幕開けを感じる。また、女子部の要請を受け、「女子部に与う」を執筆する。20日、伸一は、鹿児島、宮崎の指導へ。徳之島から船で、奄美大島を初訪問。奄美大島会館の落成式に続いて、名瀬港に面した塩浜海岸の埋め立て地で、奄美総支部の結成大会が行われる。伸一は、離島広布に戦ってきた同志を全力で激励。「私と同じ心で、同じ決意で」と、奄美の広布を託し、力走を続ける。

〈1963年(昭和38年)5月14日、東京の「おとしよりの集い」に出席した山本伸一は、人生の大先輩への感謝と真心を込めて、励ましを送る〉

若さは柔軟な精神に

一は、さらに、強い確信を込めて語った。(中略)「若くても、老いてい人もいる。年は老いても若い人もいる。人間の若さの最大の要因は、常に向上の心を忘れない、柔軟な精神にあるといえます。また、人間の幸福は、人生の晩年を、いかに生きたかによって決まるといえます。過去がどんなに栄光に輝き、幸福であったとしても、晩年が不幸であり、愚痴と恨みばかりの日々であれば、これほど悲惨なものはありません。さらに、幸福は、財産によって決まるものではない。社会的な地位や名誉によって決まるものでもない。幾つになっても、生きがいをもち、使命をもって、生き抜くことができるかどうかです。信心をしてこられた、人生の大先輩である皆様が、お元気で、はつらつと、希望に燃え、悠々と日々を送られていること自体が、仏法が真実である最大の証明であります。皆様方が、いつまでもお元気で、長寿であられんことをお祈り申し上げ、本日のあいさつとさせていただきます」(中略)彼は、退場すると、そのまま会場の正面玄関に回り、参加者の激励にあたった。人の命には限りがある。今、この時に、会って励ましておかなければ、生涯、会えなくなってしまう人もいるかと思うと、一人ひとりに声をかけずにはいられなかった。「ご苦労様!おばあちゃんは、お幾つ?」「はい、八十三です」「そうですか。大変に若々しい。いつまでも、お元気で!」参加者は、伸一が差し出した手を強く握り締めながら、満面の笑みの花を咲かせるのであった。なかには喜びのあまり、目に涙を浮かべる人もいた。言葉は光である。たった一言が、人間の心に、希望の光を送ることもある。彼は、命を振り絞るようにして、”励ましの言葉””勇気の言葉”を紡ぎ出し、参加者に語りかけた。(「布陣」の章、38~40ページ)

「宝剣」の章

7月1日、男子部幹部会に出席した伸一は、戸田城聖の七回忌を期して、「本門の時代」すなわち広宣流布の本格的な展開の時代に入ることを宣言する。次いで5日、女子部幹部会では、女子部も、男子部も、それぞれ部員100万の達成を提案。また、「真心を込めて、一人ひとりのメンバーの個人指導を実践していっていただきたい」と呼び掛けた。翌6日、伸一は、伊豆の天城で行われた男子の水滸会、続いて女子の華陽会の研修に駆けつけ、青年の育成に全精魂を傾ける。彼は、男子部の結成12周年を記念して、青年部の新しい指針「青年よ世界の指導者たれ」を執筆する。それは、青年たちの眼を大きく世界へと開き、指導者への自覚を促す、精神の暁鐘となった。関西では、京都大学に学ぶ学生部員への「百六箇抄」講義を始める。講義を通し、伸一は受講生一人一人を広布の「宝剣」へと磨き、育てていく。25日、聖教紙上に、日達法主の訓諭が掲載。広布の息吹もなく、学会批判する宗門の僧、法華講を戒めるもであった。伸一は、衣の権威に潜む魔性との闘争に挑んでいく。

〈7月6日、伸一は、水滸会の研修が行われる宿舎に着くと、あいさつに来た青年部長らに、死身弘法の精神について指導する〉

 

いざという時が勝負

一は、語り続けた。(中略)「戦後、先生の事業が行き詰まり、最悪の事態を迎えられた時にも、皆がどうするか、弟子たちがどんな行動に出るか、じっとご覧になっていた。それが”人を見る”ということだ。だから、いざという時にどうするか、何をするかが勝負だよ」伸一は、懐かしそうい、戸田城聖との思い出を語り始めた。「先生の事業が最も窮地に陥っていたころ、私も胸を病み、発熱と喀血に苦しんでいた。給料も遅配が続き、社員は一人、二人と去っていった。なかには陰に回って、大恩ある先生を痛烈に批判する者もいた。そのなかで、私は働きに働いた。そして、先生に一身を捧げ、先生とともに戦い、先生が生きておられるうちに、広宣流布に散りゆこうと、密かに決心した。そうしなければ、後世にまことの弟子の模範を残すこともできないし、現代における大聖人門下の鏡をつくることもできないと、考えたからだ。しかし、戸田先生は、何もかも、鋭く見抜かれていた。私の心も、すべてご存じであったのだ。先生は言われた。『お前は死のうとしている。俺に、命をくれようとしている。断じて行き抜け!お前は行き抜け。断じて行き抜け!俺の命と交換するんだ』弟子を思い、広宣流布を思う、壮絶な火を吐くような師の叫びだった。この先生の言葉で、私は広宣流布のために、断じて行き抜く決意をした。広布に一身を捧げ、殉ずることと、広宣流布のために生き抜くことは、表裏の関係であり、一体といってよい。そこに貫かれているのは、死身弘法の心だ。なぜ、水滸会員である君たちに、私がこんな話をするのか。広宣流布を託すのは、青年部の代表として選ばれた、水滸会の君たちだからだ」深い指導であった。秋月英介たちは、山本会長が、水滸会に、最大の力を注ごうとしていることを痛感したのである。(「宝剣」の章、108~110ページ)

「清流」の章

7月28日、伸一は言論部の第1回全国大会に出席。席上、言論部の使命とは、悪質な意図をもって、民衆を暴き、「人間の”幸福”と真実の”平和”のための新しい 世論をつくりあげていくこと」であると訴えた。30日、彼は長野市で、中部第二本部の幹部会に出席する。また、31日の夜、東京では8月度の男子部幹部会が開かれ、「世界広布の歌」を発表。この歌は、伸一から贈られた青年部への指針「青年よ世界の指導者たれ」に応える、誓いの歌であった。9月には念願の新学会本部が落成。この新本部を中心に、学会は勇躍「本門の時代」へと突き進んでいく。さらに、伸一は、文化運動への基盤を着々と整え、「民主音楽協会(民音)」創立。民音の設立によって、新たな文化の創造がなされることに期待を寄せた。

 

常に師を心の規範として

月十一日の夕刻、羽田の東京国際空港から、副理事長の春木征一郎と、理事で南米総支部長の山際洋が、アルゼンチンへ向けて出発した。これは夏季海外指導の第一陣で、二人はカナダのバンクーバーを経由し、アルゼンチンに入り、パラグアイ、ブラジル、ペルー、ボリビアなどを歴訪して、メンバーの指導、激励にあたり、八月二十九日に帰国の予定であった。(中略)草創期から行われてきた夏季地方指導が、今や世界指導となったのである。伸一は、(中略)春木と山際が、出発のあいさつに来た時、二人にこう語った。「二人はメキシコを経由することになっていたね」「はい」「戸田先生が亡くなる直前、『昨日は、メキシコへ行った夢を見たよ』と、嬉しそうに語っておられたことが、私は忘れられないんだ。そして、『待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ』と言われた。あなたたちは、その戸田先生の代わりに、今回、南米に行くのだという、強い自覚をもってほしい。私も、どこに行っても、いつも、その自覚で行動している。”戸田先生ならどうされるだろう。どんな戦いをなされるだろう。”と、常に考えている。また、先生がご覧になって、お喜びいただける自分であるかと、常に問い続けている。だから力が出せた。勇気を出すことができた。師弟の道とは、そうした生き方であると、私は思っているんだよ。私もできることなら、メキシコにも、アルゼンチンにも、ペルーにも行きたい。いや、すべての国を回って、力の限り、一人ひとりを励ましたい。しかし、今の私には、その時間がない。だから、あなたたちは、私の代わりでもある。ひとたび行く限りは、そこに生命を刻みつける思いで、メンバーの指導、激励にあたってくることだ。(中略)」春木と山際は、決意を新たにして、南米へ旅立って行った。(「清流」の章。218~219ページ)

「激流」の章

11月23日、アメリカのケネディ大統領暗殺の衝撃的なニュースが世界を走る。伸一は、ケネディが大統領として戦った”一千日”に思いを馳せ、地上から人間への差別をなくし、世界に永遠の平和を築き上げることを心に誓う。11月の本部幹部会では、明64年(昭和39年)を「団結の年」とすることが発表された。年末、学会の総世帯は400万世帯になんなんとしていた。驚嘆すえべき大前進であった。64年1月、学会代表の韓国訪問が中止になる。韓国では、かつて日本が行った侵略と支配の歴史から、学会に対して根強い誤解があった。韓国の同志は、度重なる弾圧にも、「激流」にそそり立つ巌のように、いささかも揺るがなかった。粘り強く、信頼を勝ち取り、やがて、大統領から表彰されるまでになり、社会で実証を示していく。一方、伸一は韓国の同志に、日々、題目を送り続けるとともに、日韓の文化・教育の交流を推進していった。そして90年(平成2年)、ついに念願の韓国訪問を実現。98年(同10年)には、SGI韓国仏教会本部を訪れ、メンバーとの出会いを果たす。

〈日本の支配によって辛酸の歴史を刻んだ韓国では、1964年(昭和39年)、学会への誤解から、同志は弾圧を受ける。「正義」を証明しようと、社会奉仕の諸活動に励む〉

 

信義と友情の「宝の橋」

本伸一も、韓国の敬愛する同士の、幸福と活躍を念じ、「功徳の雨よ降れ!」と、日々、題目を送り続けてきた。また、韓国の同志が日本にやって来ると聞けば、真っ先に会い、一人ひとり、抱きかかえる思いで、精魂込めて激励した。さらに、日本と韓国の間に、信義と友情の、永遠の「宝の橋」を架けようと、文化・教育の交流に、力を注いていったのである。そうした努力が実り、一九九○年(平成二年)秋、(中略)初めて、念願の韓国を訪問したのである。そして、九八年(同十年)五月、伸一は、再び韓国の大地に立った。創価大学の創立者として、名門・慶熙大学から招かれ、「名誉哲学博士号」を贈られたのである。伸一の「世界平和への献身的努力」と、「韓国の文化と歴史への深い洞察を通し、韓日の友好に大きく寄与した」ことを讃えての授与であたt。この韓国訪問中の五月十八日、伸一は、ソウルにある、SGI韓国仏教会本部を初訪問したのである。初夏の風がさわやかであった。(中略)メンバーは、この日が来ることを夢に見、祈り、待ちわびてきたのである。それは、伸一も同じであった。彼は、韓国の”信心の大英雄”たちに、万感の思いを込めて呼びかけた。「皆様方がおられれば、いっさいを勝利に導いていけるというこが、厳然と証明されました。皆様は勝ちました!」喜びの大拍手が舞った。「社会に奉仕し、人間性を広げていく。二十一世紀の仏法ルネサンスは、韓国から始まっています。私は嬉しい。全世界が皆様を賛嘆しています!」一言一言に、全生命力を注ぐ思いで、伸一は語った。「どうか『楽しき人生』を!『偉大な人生』を!『勝利の人生を!』誰もが泣いていた。誰もが大歓喜に包まれいた。そして、誰もが新たな旅立ちの誓いに燃えていた。「激流」の章、369~372ページ)

第8巻御書

御文

御文

仏法と申すは勝負をさきとし(御書1165ページ、 四条金吾殿御返事しじょうきんごどのごへんじ

通解

仏法とうのは勝負を第一とし

小説の場面から

〈1963年(昭和38年)6月3日夜、山本伸一は東京第一本部の新出発の幹部会に出席し、あいさつに立った〉
「何ごとも勝てば嬉しい。活動の勝利は、わが生命に躍動と歓喜をもたらし、希望と活力の源泉となる。しかし、負ければ歓喜もなくなり、元気もでません」(中略)「折伏にせよ、あるいは会合の結集にせよ、勝とうと思えば、目標を立て、決意を定め、真剣に唱題に励むことから始めなければならない。さらに、知恵を絞って、勇気をもって挑戦し、粘り強く行動していく以外にありません。そして、一つ一つの課題に勝利していくならば、それは、大きな功徳、福運となっていきます。また、何よりも、それが、人生に勝つための方程式を習得していくことになる。さらに、活動を通してつかんだ信仰への大確信は、人生のいかなる困難をも切り開いていく力となります。(中略)

何ごとも勝てば嬉しい

御書には『仏法と申すは勝負をさきとし』と仰せです。それは、広宣流布とは、第六天の魔王という生命破壊の魔性との戦いであり、さらには人間が生きるということ自体が、人生そのものが戦いであるからです。人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰などの弱さと戦い、勝ことから始まります。人間革命とは、自己自身に勝利していくとこであり、そのための、いわば道場が、学会活動の場であるともいえます。

(「布陣」の章、47~48ページ)

御文

声仏事こえぶつじす(御書708ページ、 御義口伝おんぎくでん

通解

声が仏の働きをする。

小説の場面から

〈7月28日、山本伸一は、言論部の第一回全国大会で、邪悪な言論が横行していることを指摘する〉伸一は訴えた。「悪質な意図をもって、民衆を扇動するような、一部の評論家やジャーナリスト、あるいは指導者によって、日本が左右されてしまえば、いったいどうなるか。そうした邪悪な言論と戦い、その嘘を暴き、人間の”幸福”と真実の”平和”のための新しい世論をつくりあげていくことこそ、言論部の使命であります。私は、一握りの評論家やジャーナリスト、あるいは一部の”偉い人”だけが、言論の自由を謳歌するような時代は、もはや去ったと叫びたい。また、そういう特権階級のためのものではないはずであります。私どもは、善良なる世論を結集し、燃え上がる民衆の言論をもって、新しき時代の幕を開いていこうではありませんか!」

民衆に根差した文化運動

民衆が、堂々と真実を語り、正義を叫ぶことこそ、「言論の自由」の画竜点睛である。「一」の暴言、中傷を聞いたならば、「十」の正論を語り抜く。その言論の戦いのなかにこそ、「声仏事を為す」という精神も、生き生きと脈打つのである。伸一は、最後に、どこまでも民衆の味方として、人びとの心を揺り動かす情熱と理念、緻密な理論とを備えた大言論戦の勇者たれと呼び掛け、講演としたのである。 」(「清流」の章、205~206ページ)

こまやかな配慮

ここにフォーカス日蓮大聖人は、こまやかな配慮にあふれる方でした。御書には、日ごろ接する機会のない門下に対する思いやりの言葉が、随所に記されています。その例として、「布陣」の章では、富木常忍が大聖人に「帷(夏用の着物)」を供養したことが挙げられています。「帷」は、90歳になる常忍の母が、わが子のために精魂込めて縫い上げたものといわれています。母の心がこもった、その帷を、常忍は大聖人に供養しました。大聖人は、「われ老眼ろうがんをしぼり身命しんみょうくせり」(御書968ページ)–自ら老いた眼を細め、身命を尽くして作られたことでしょう、と常忍の母の苦労に思いをはせられます。さらに、”この着物を見に着けて、日天の前で、その由来を詳細に報告しましょう”と言われ、諸天善神の加護は間違いないと激励されます。母は子を思い、子は母を、師匠を思う。そして、師匠は弟子を思い、その母にも心を配る–。何と美しい心の交流でしょうか。これこそ、仏法の世界です。「布陣」の章に、「山本伸一も、この大聖人の御心を、わが心としていかなければならないと、常に、自分に言い聞かせてきた」とあります。どうすれば、同志が喜ぶのか、元気になるのか。その人だけではなく、家族、周囲にまで思いを巡らせ、真剣に祈り、励ましを送る。その真心の連帯を広げていくことが、広宣流布の運動の根本です。

第8巻解説

紙面講座池田主任副会長


会長就任3周年となる1963年(昭和38年)5月、中部第二本部、兵庫本部が新たに誕生し、学会は20本部、87総支部、463支部の陣容となります。9月には、信濃町に新たな学会本部が完成しました。まさに、組織面でも、建物の面でも、学会が大きな飛躍を遂げた時です。その中で、山本伸一は、「自分が生きているうちに、世界広布の揺るぎない基盤をつくり上げておなかければ、(中略)ようやく到来した広宣流布の好機を、逸してしまうことを痛感」(41ページ)し、リーダーの胸中に学会精神をみなぎらせる”精神の布陣”の構築に心を砕きました。それが、「殉難をも恐れず、民衆の幸福と人類の平和に生涯を捧げた、牧口常三郎と戸田城聖の精神を、いかにして永遠のものとしていくか」(10ページ)ということです。そのために、伸一は全国各地で、リーダーの自覚と責任感を促し、一人一人の同志に、清新な息吹を送ります。理事の代表との打ち合わせの折には、「戸田先生は、ご自身の、また、幹部の”自己教育”ということを、叫ばれた。これは、先生の遺言です」(31ページ)と恩師の指導を確認し、自身がその挑戦を重ねていることを語り、「私と同じ決意に立っていただきたい」(32ページ)と呼び掛けています。兵庫のリーダーとの懇談では、「学会の組織には、お年寄りもいれば、青年もいる。それぞれが互いの持ち味を生かしながら、団結し、調和していってこそ、学会の本当の力が出せる」(45ページ)と、団結の重要性を訴えます。また、奄美大島では、広宣流布を阻むのは、「環境や状況の厳しさではなく、幹部の一念に宿る『妥協』と『あきらめ』の心」(89ページ)と強調し、「幹部というのは、広宣流布の責任をもつ人の異名」(91ページ)と、リーダーの姿勢について語っています。さらに、広布の「宝剣」である青年の育成に、全精魂を注いでいきます。部員が少なく、組織の実態が極めて厳しい、と嘆く青年に対して、伸一は即座に「君が立ち上がればいいんだ!」(115ページ)と答え、「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく」(同ページ)と励まします。そして、自らの「二月闘争」の体験を通して、「君も立て!断じて立つんだ。見ているぞ!」(116ページ)と強く呼び掛けます。殉難を恐れない師の精神とは、この「一人立つ」精神にあることを、青年の心に打ち込んでいったのです。

無疑曰信むぎわつしん」の信心

7月1日に開催された男子部幹部会で、伸一は、翌64年(同39年)4月<の戸田先生の七回忌を期して、学会が「本門の時代」に入ることを宣言しました。「本門の時代」とは、第一に 「理論や観念ではなく、現実に広宣流布の証を打ち立てる時代」(309ページ)であり、第二に 「教育、芸術、政治。経済などの各分野に、本格的な文化の華を咲かせていく時代」(234ページ)であり、第三に「弟子の飛翔の時代」(235ページ)です。この「本門の時代」を勝利するために重要なことが、「何があっても御本尊を信じ抜く、『無疑曰信むぎわつしん』の清流のごとき信心(209ページ)であり、学会は「一点の濁りもない、清流のごとく、清らかな信心の団体であらねばならない」(280ページ)ということです。「清流」の章では、退転者の姿を通し、魔の本質が明らかにされています。退転者は、「学会や山本伸一を『巨悪』に仕立て上げ、自分を、その被害者、犠牲者として、『悪』と戦う『正義』を演じようとする」(284ページ)それが、「悪鬼入其身」の姿です。魔の目的は、同志の絆を分断し、広布のの組織を攪乱することです。退転者が流す流すデマに対する反応に、「その人の境涯、人格、人間観が端的に現れる」(同ページ)。ゆえに、大切なことは、魔の本質を見破ることです。同章には、退転者の無惨な末路が描かれ、「仏意仏勅の団体である創価学会の組織を攪乱し、反旗を翻した罪はあまりにも重く、限りなく深い」(286ページ)と記されています。この厳粛な一節をを心に刻みたい。『新・人間革命』第30巻〈上〉「大山」の章には、戸田先生の「学会は、この末法にあって、これだけ大勢の人に法を弘め、救済してきた。未来の経典には、『創価学会仏』という名が厳然と記されるのだよ」(98ページ)との言葉ば紹介され、「学会は、『創価学会仏』なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければはらない」(100ページ)とあります。広宣流布とは、仏と魔との間断なき闘争です。いかなる障魔の嵐が競い起ころうとも、私たちは清流の信心を貫いていきたいと思います。

光彩放こうさいはなつ「にじかけはし

「本門の時代」を迎える64年、韓国では広布の「激流」の歴史が始まりました。1月上旬から新聞が突然、学会への批判記事を掲載するなど、厳しい試練にさらされます。しかし、韓国の同志は、自由に学会活動ができる時が来ることを信じて、懸命に信心に励みます。一人一人が模範の市民として、社会貢献の活動に取り組み、信頼の輪を韓国社会に広げていきました。伸一も、韓国の同志に題目を送り、日本と韓国の間に、信義と友情の「宝の橋」を架けようと、文化・教育の交流にも力を注ぎます。そして98年(平成10年)5月、伸一に慶熙大学キョンヒ大学から「名誉哲学博士号」が授与されます。18日には、伸一のSGI韓国仏教会本部の初訪問が実現しました。それは、韓国の友の勝利の凱歌でもありました。「激流」の章は、その場面で締めくくられています。新聞連載を振り返ってみると、この「激流」の章で、韓国の歴史が描かれ始めたのは、98年の「7月17日」からでした。「7.17」は、57年(昭和32年)のその日に、池田先生が、”最後は信心しきったものが必ず勝つ”と師子吼し、不屈の「負けじ魂」が刻まれた「大阪大会」が開催された日です。翌99年(平成11年)5月、先生は九州・福岡から韓国・済州島を初めて訪問。国立済州大学から「名誉文学博士号」が授与され、同大学の趙文富総長(当時)と平和の語らいを広げました。さらに、済州の友と記念撮影会を行い、渾身の励ましを送っています。今月、20周年記念の学術シンポジウムが済州大学と創価大学の共催で行われました。先生が築いた日韓友好の「虹の架け橋」は、ますます光彩を放っています。

名言集

広布への情熱

わが地域を変えゆかんとするなら、ただ一つ、わが心に闘魂の太陽ありや、広宣流布への情熱ありやを、問うことだ。(「布陣」の章、76ページ)

激励の手を満遍なく

会合に出席する人というのは限られている。たとえば、座談会を見ても、参加者に倍するほどのメンバーが、それぞれの組織にはいるはずである。そこに、満遍なく激励の手を差し伸べてこそ、盤石な学会がつくられ、そえらが拡大にもつながり、広宣流布の広がりもうまれる。(「宝剣」の章、103ページ)

真の言論人

「いまだこりず候」(御書一○五六ページ)と、正義の言論の矢を放ち続けることである。その不屈なる魂の叫びが、人びとの心を揺り動かすのである。真の言論人とは、不屈の信念の人の異名でなければならない。(「清流」の章、204ページ)

行事開催の目的

学会が行うさまざまな行事は、一人ひとりの信心の成長を図り、広宣流布を前進させるための場である。その根本の目的が見失われてしまえば、開催の意味ないといっても過言ではない。(「清流」の章、226ペー ジ)

幸福になる権利

すべての人が幸福になる権利をもっている。いな、最も苦しんだ人こそが最も幸せになる権利がある–それを実現してきたのが創価学会である。(「激流」の章、333ページ)