世界広布の大道【新・人間革命 第7巻】

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大動 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第7巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は10日付、「御書編」は17日付、「解説編」は24日付の予定。

第7巻基礎資料

物語の時期
1962年(昭和37年)8月1日~1962年4月

「文化の華」の章

偉大な宗教は、偉大な文化を生む。山本伸一は、広宣流布とは、仏法の慈光をもって民衆の大地を照らし、新しい「文化の華」を咲かせゆく運動であると考えていた。1962年(昭和37年)は、民衆文化の興隆に力が注がれた年であった。1月には東洋学術研究所(後の東洋哲学研究所)が創設されたのをはじめ、8月には教育部の全国大会が開催された。さらに、「富士吹奏楽団」なども相次ぎ結成される。各方面では、体育大会”若人の祭典”が開かれ、9月の本部幹部会では、文化に新たに学術部と芸術部が誕生した。また、首都圏のメンバーを中心に第1回文化祭も行われた。伸一は、この見事な文化祭こそ、民衆勝利の姿であると賛嘆する。10月、ソ連のキューバへの核ミサイル運搬を巡って、米ソ両国が一触即発の事態となる。”キューバ危機”である。11月、学会は、伸一が戸田城聖に誓った会員300万世帯を達成。伸一は、”次は、いよいよ600万世帯だ”と、広布大願への決意を新たにする。

誓いは果たしてこそ誓い

〈1962年(昭和37年)11月、学会は三百万世帯を達成。その報告を受けた山本伸一は、仏間に向かった〉

題の声が、朗々響いた。彼は、御本尊に向かい、師の顔を思い浮かべながら、心で語りかけた。「先生!伸一は先生にお約束申し上げました三百万世帯を、遂に、達成いたしました。先生にお育ていただいた弟子の一行が、力を合わせて成し遂げた、団結の証でございます・・・」思えば、戸田が三百万世帯の達成を伸一に託したのは、逝去の約二か月前にあたる、一九五八年(昭和33年)の二月十日のことである。それは、戸田の五十八歳の誕生日の前日であった。この日の朝、関西の指導から夜行列車で東京に戻った伸一は、その足で戸田を訪ねた。(中略)学会は、前年の十二月には、戸田の生涯の願業であった七十五万世帯を達成していた。戸田は、伸一の顔を、まじまじとみつめて、言葉をついだ。「急がねばならんのだよ。伸一、あと七年で、三百万世帯までやれるか?」それは、戸田が熟慮の末に練り上げた、壮大な広布の展望であった。しかし、それを成すのは自分自身ではないことを、戸田は悟っていた。(中略)この時、伸一は、きっぱりと答えた。「はい、成就いたします。ますます勇気がわきます。私は先生の弟子です。先生のご構想は、必ず実現してまいります。ご安心ください」戸田は「そうか」と笑みを浮かべたーー。戸田の思いは、そのまま伸一の誓いとなった。師から弟子へ、広宣流布の大願は受け継がれたのである。伸一は、この時の戸田の言葉を、片時も忘れることはなかった。そして今、一身をなげうっての激闘の末に、その誓いを成就したのである。誓いは果たしてこそ誓いである。現実に勝利を打ち立ててこそ弟子である。三百万世帯の達成は、決して、単に、時流がもたらしたものではない。山本伸一という、戸田城聖の真正の弟子の、必死の一念、必死の行動が、波紋となって広がり、広宣流布の渦潮をつくりあげていったのだ。(「文化の華」の章、86~88ページ)

「萌芽」の章

63年(同38年)1月8日、伸一は未来のために、世界広布の布石を打とうと、世界一周の平和旅へ。最初の訪問地であるアメリカのハワイでは、ハワイ支部の結成を兼ねたハワイ大会が開催された。伸一は、「ハワイに弘教の大法旗よ翻れ」と訴え、また、皆からの質問を受ける。一行は、ハワイのカウアイ島を訪れ、10日には、ロサンゼルスに到着。12日、アメリカの西部総会が行われ、席上、ロサンゼルス会館のオープンが発表される。伸一は、メンバーの、功徳と歓喜にあふれた姿を見て、厳しい冬の試練に耐え、いよいよ「萌芽」の春を迎えたと語る。13日の夜、彼はニューヨーク支部の結成大会となる東部総会に出席。国際政治のうえでも重要な立場にあるアメリカに、仏法が流布するということは、世界平和の大潮流をつくることになると、メンバーの活躍に期待を寄せた。伸一は、妙法の太陽に照らされて、アメリカの各地に、地涌の若芽が育っていることを確信し、ヨーロッパへ向かう。

〈1963年(昭和38年)1月、伸一はハワイで、アメリカ総支部の副婦人部長で北米女子部の部長・春山栄美子らと懇談する〉

宇宙をも包む大境涯

山栄美子は、山本会長と会った時には、これも報告しよう、あれも相談しようと思っていたが、実際に伸一を前にすると、何も言葉にならなかった。それを察してか、伸一の方から彼女に語りかけた。「春山さん、アメリカはどうだい」しかし、彼女は、何を言えばよいのかわからなかった。次の瞬間、こんな言葉が口をついて出たいた。「先生、アメリカは広いんです・・・」それは、動いても動いても、目に見える結果を出すことができないでいた栄美子の実感でもあった。伸一のは、微笑を浮かべながら言った。「そんなことは、わかっているよ。でも、私から見れば、アメリカといっても、庭先のようなものだ。大事なことは。自分の境涯の革命だよ。地表から見ている時には、、限りなく高く感じられる石の壁も、飛行機から眺めれば、地にへばりついているような、低い境目にしか見えない。同じように、自分の境涯が変われば、物事の感じ方、捉え方も変わっていくものだ。逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる。その境涯革命の原動力は、強い一念を込めた真剣な唱題だ。題目を唱え抜いて、勇気を奮い起こして行動し、自分の壁を打ち破った時に、境涯を開くことができきる。南無妙法蓮華経は大宇宙に通ずる。御書にも『一身一念法界に遍し』(二四七ページ)となるじゃないか。宇宙をも包み込む大境涯に、自分を変えていくことができるのが仏法だ」その言葉を聞くと、彼女は、電撃に打たれた思いがした。”そうだ。アメリカが広いのではなく、私の境涯が狭く、小さなために、現実の厳しさに負けてしまっているにすぎないのだ。先生は、アメリカを、決して遠い国とは思っていらっしゃらない。離れていたのは、先生と私の心の距離ではなかったのか・・・”彼女は、目の前の霧が、すっと晴れていくようなきがした。(「萌芽」の章、114~116ページ)

「早春」の章

1月15日、パリに到着した伸一は、翌日、ヨーロッパ総支部・パリ支部結成大会に臨む。ここには、結成されたばかりのドイツ支部などからも代表が参加。伸一は、ヨーロッパにも、太陽が輝く「早春」が訪れたと述べ、メンバーに、「皆さん自身が、家庭に、地域に、社会に、幸福と平和の春をもたらす太陽」であると訴える。激励行は、スイス、イタリアへと続き、22日には、キリスト教とイスラム教が二大宗教として並び立つ中東・レバノンを視察する。さらに、タイなどを経由し、香港へ。伸一は、同行していたタイのバンコク支部の婦人部から、警察に呼ばれ、活動の自粛を求められたとの話を聞く。彼は、諸外国にあって、学会への誤解をとき、理解を促していくために、自分が各国のリーダーと対話していこうと決意する。香港では、3地区が結成され、27日、一行は帰国の途に就こうとするが、飛行機のエンジントラブルのため、便を変更し、台湾の台北を経由することになる。そして、空港で、伸一の訪問を待ち望んでいた同志と対面し、激励する。

〈1月22日、伸一は、キリスト教とイスラム教が二大宗教として並び立つ、中東のレバノンそ視察した〉

学会は人間宗でいくんだ

一は言った。(中略)「この中東にしても、ヨーロッパにしても、宗教の社会的な影響力や存在感は、日本と違って格段に重い。その宗教、宗派のうえに、政治的、社会的な利害が絡めば、問題はますますこじれてします。だから、対話といっても、宗派を超えた人間対人間の対話が必要だと、私は思う。つまり、同じ国民として、あるいは同じ人間として、まず、共通の課題について、忌憚なく語り合うことだ。そして、”共感”の土壌をつくっていくことが、最も大切ではないだろうか。それには、宗教や宗派で一律に人間を割り切ってしまうという発想を、転換していくことだ。私は、人を一個の具体的な人間としてではなく、民族や宗教、国籍などの抽象な集団としてとらえ、判別していくことは間違いであると思っている。そうした発想は人間を”分断”していくだけで、そこらかは本当の対話も、真の友情も生まれることはない。レバノンの場合も、大前提、大原則は、同じ権利をもった国民、同じ尊厳と生存の権利をもった国民、同じ尊厳と生存の権利をもった人間という視座に立っての、対話を始めることだ。”宗派”ではなく、”人間”を見つめ、宗派間の対話以上に、人間間の対話をしていくいがいにない。(中略)そうした視点に立って、話し合いを進めていこうとしなければ、事態はますます紛糾していくだろう。実は、私がこれから、生涯かけて行おうとしていることも、この”人間対人間”の対話を、世界に広げていくことです。仏教も本来、宗派などなかった。また、特定の民族や階級のためでもない。人間のために、一切衆生のために説かれたものです。大聖人の御心もまた、”一切衆生をどうすれば幸福にできるか”という、この一点につされている。戸田先生は『学会は人間宗でいくんだ』といわれたことがあるが、どこまでも、人間が根本です。我々は、こういう大きな心dふぇいこうよ」(「早春」の章。264~265ページ)

「操舵」の章

1月24日夜、総本山に登山し、新潟駅に向かう学会員の乗った団体列車が、豪雪のため、新潟県の宮内駅で立ち往生する。車内で待機する会員に対し、地元同志は、吹雪の中、オニギリや味噌汁などを届け、懸命に支援を続ける。輸送班の青年たちは、皆を元気づけようと学会歌の指揮を執り、大合唱が広がる。その後、長岡駅でも止まり、28日午前0時過ぎ、運転が再開される。混乱は一切なく、信仰の力の証明となった。2月11日、伸一は、婦人部への指針「婦人部に与う」を書き上げる。彼はその中で。「創価学会婦人部こそ、妙法をだきしめた、真の女性解放の先駆者である」と綴る。4月9日、台湾の台北支部が政府の命令により解散となる。メンバーは”冬は必ず春になる”との思いで、弾圧に耐え抜き、27年後、晴れて団体登録される。そして、台湾社会に深く根差し、”優良社会団体”として表彰されるまでになる。伸一は、台湾の組織が解散させられたことで、いよいよ、世界広布は激浪の時代に突入したことを自覚する。広布の未来は、すべて、彼の「操舵」にかかっていたのだ。

〈4月9日の夜、台湾の台北支部長・朱千尋の自宅で、警察の立ち合いのもと、支部の解散を通達する会合が開かれた〉

冬は必ず春となる!

は、静かに語りはじめた。「本日、四月九日、創価学会台北支部は、人民団体として許可がえられないため、政府より解散を命じられました。ここに解散を宣言いたします」(中略)この瞬間、彼の脳裏に、二か月余り前の一月二十七日、あの松山空港で山本会長が語った言葉が鮮やかに蘇った。--「何もあっても、どんなに辛くとも、台湾の人びとの幸福のために、絶対に仏法の火を消してはならない。本当に勝負は、三十年、四十年先です。最後は必ず勝ちます」(中略)彼は唇をかみしめ、拳で涙を拭うと、力を込めて言った。「支部は解散しますがが、中華民国の憲法で、信教の自由は保障されています。誰憚ることなく、信心をしていくことはできます。私たちが幸福になる道は、決して閉ざされたわけではないのです。必ず、春になるのです」(中略)以来、警察は、一人ひとりに監視の目を光らせ、取り締まりを強化していった。突然、家に踏み込まれ、御本尊を持っていかれた人もいた。御書をはじめ、学会の出版物やバッジなども没収された。「信心をつsるなら牢獄にぶち込むぞ!」と、脅された人もいた。(中略)いかなる状況下でも、信心はできる。広宣流布に生きることはできるーーそれが朱の信念であり、決意でもあった。朱千尋は、時間を見つけては、個人的に同志を励ました。(中略)この”冬の時代”にあっても、正法は、自然のうちに、深く社会に根差していったののである。(中略)一九八七年(昭和六十二年)には戒厳令も解除され、九○年(平成二年)には台湾の組織として「仏学会」が、晴れて団体登録されることになる。(中略)その後、文化祭などの諸活動による社会貢献の業績が高く評価され、内政部から”優良社会団体”として、何度も表彰されるようになるのであるーー。(「操舵」の章、386~391ページ)

第7巻御書

御文

御文

今の世間せけんを見るに人をよくすものはかたうど方人よりも 強敵ごうてき が人をば・よくなしけるなり(御書917ページ、 種種御振舞しゅしゅおふるまい御書)

通解

今の世間せけんを見ると、人を成長させるものは、味方の人よりもかえって強い敵である

小説の場面から

〈1963年(昭和38年)3月3日夜、伸一は”権力の魔性”について思索し、かつて「大阪事件」渦中、戸田城聖が語った言葉を思い出す〉
「社会の不幸に目をつぶり、宗教の世界に閉じこもり、安穏として、ただ題目を唱えているだけだとしたら、大聖人の立正安国の御精神に反する。この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある。それを断行するならば、当然、難が競い起こる。しかし、そんなことを恐れていたのでは、仏法者の本当の使命を果たすことはできない。それに、われわれが宿業を転換し、一生成仏していくためには、法難にあい、障魔と戦って勝つしかないのだ

(中略)

人間の尊厳を守る戦い

広宣流布を破壊しようとする大悪人と、また、魔性の権力と戦い、勝てば、成仏することができる。ゆえに大聖人は、片人、つまり味方よりも、強敵が人をよくすると言われているのだ。大難の時に、勇気を奮い起こして戦えば、人は強くなる。師子になる!(中略)学会が難を受けた時に、自分には、直接、関係ないといって黙って見ているのか、自分も難の渦中に踊り出て、勇んで戦っていくのかが、永遠不滅なる生命の勝利、すなわち、一生成仏ができるかどうかの境目といえる」

(「操舵」の章、362~365ページ)

御文

迦葉尊者かしょうそんじゃにあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗しゃりほつにあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩ぼさつの大地よりいでたまいしには・おどりてこそで給いしか(御書183ページ、 大悪大善だいあくだいぜん 御書)

通解

迦葉尊者かしょうそんじゃでなくても、まいでもうべきところである。舎利弗しゃりほつでなくても、立って踊るべきところである。上行菩薩ぼさつが大地から涌出ゆじゅつ讒言ざんげんするので、ひさしい間、大忠だいちゅうされた時には、踊りながらながら出られたではないか。

小説の場面から

〈1962年(昭和37年)秋、文化創造の騎手・芸術部が誕生。音楽祭や文化祭が開催されたことから、広宣流布と文化運動の関係が論じられていく〉これは、釈尊の高弟である迦葉尊者、知性の代表ともいうべき舎利弗が、法華経という成仏得道の大法を得た時、その大歓喜に、舞い、踊ったことについて述べられたものである。さらに、法華経の会座で、滅後末法の弘通えお託すために、釈尊が大地の底から無数の地涌の菩薩を呼び出した時にも、その上首たる上行菩薩は、大歓喜に踊りながら出現したといわれている。大宇宙の深奥の真理を知り、その大法を弘め、一切衆生の幸福を打ち立てようとする大歓喜は。おのずから舞となり、踊りとなったといえよう。この生命の発露のなかに芸術の開花がある

(中略)

民衆に根差した文化運動

伸一は、広宣流布は、民衆の大地に根差した文化運動であるととらえていた。彼は、ある時、青年たちに”広宣流布とは、いかなる状態をいうのか”と問われて、「文化という面から象徴的にいえば、たとえば日本の庶民のおばあちゃんが、井戸端会議をしながら、ベートーベンの音楽を語り、バッハを論ずる姿といえるかもしれない」と答えたことがある。民衆に親しまれ、愛されてこそ、文化・芸術も意味をもつといえる。

」(「文化」の章、42~43ページ)

「地球民族主義」の時代

ここにフォーカス小説『新・人間革命』第7巻「操舵」の章に、山本伸一が「地球民族主義の大理念をもって世界を結び、恒久平和を実現しなければならない時が来た」と深く自覚する場面が描かれています。「地球民族主義」とは、戸田先生が提唱した理念で、政治・経済体制などの違いを超えて、”同じ地球に住む同胞”との精神的基盤に立つことです。「キューバ危機」が起こるなど、当時は東西両陣営の対立が激化しており、イデオロギーや民族を超えて、人間の心と心を結ぶことは、困難を極めました。しかし、そお「人類史的実験」ともいえる課題に、学会は伸一を中心として果敢に挑んできました。戸田先生が「地球民族主義」を提唱した当時、世間の反応は”現実離れ””夢物語”という冷ややかなものでした。その後、冷戦は終結。今、新たな形の分断と対立が続く世界にあって、戸田先生の炯眼を、共生と協調の時代を迎えました。その扉を開いたのは、恩師の思想を宣揚し続けてきた池田先生です。師が開いた時代の流れを、さらに広げていくーーそえは、私たち弟子の使命と責任です。

第7巻解説

紙面講座池田主任副会長


1962年(昭和37年)11月、創価学会は第2代会長・戸田先生の遺言であった300万世帯を達成しました。第7巻の「文化の華」の章で、その当時の様子がつづられています。300万世帯の達成は、師匠・戸田先生の思いを、弟子・山本伸一が自らの誓いとして受け継ぎ、必死の一念と行動に徹する中で、もたらされた結果でした。そして、“次は、いよいよ六百万世帯だ。先生!見てください”(90ページ)と決意しています。この目標は、広宣流布を自ら使命と責任であると、自覚することから生まれたものだあったといえるでしょう。『新・人間革命』第30巻〈下〉に、「広宣流布という大偉業は、一代で成し遂げることはできない」(434ページ)と記されていますが、師の精神が世代を超えて継承されてこそ、初めて広宣流布は成就します。その意味において、次代を担う青年たちへの深い思いが第7巻でもつづられています。伸一は青年に対して「自分たちの世代の広宣流布は、自分たちが責任をもち、最も有効な運動をつくり上げていってこそ、仏法の永遠の流れが開かれる」(24ページ)と期待し、青年部の”若人の祭典”や弁論大会などに出席しました。その弁論大会などに出席しました。その弁論大会では「広宣流布は青年の手で成さなければなりません。そのために、青年部の諸君は(中略)大聖人の仏法こそ絶対であるとの、大確信をつかんでいただきたい」(372ページ)と激励しています。師弟の道を歩むということは、単に師の後に弟子が続くことではなく、弟子が師の誓いをわが誓願として全身で受けとめて、行動を起こすことです。「誰かが」ではなく、「自分が」一切の責任を果たす。この一人立つ精神を弟子が受け継いでこそ、師弟の道があることを胸に刻んでいきたいと思います。

“広布の春”が来た

「萌芽」「早春」の章では、63年1月の伸一の海外訪問の模様が記されています。アジア・ヨーロッパは2年ぶり、アメリカは3年ぶりとなる2巡目の世界旅でした。伸一は「十年先、三十年先、百年先のために、世界の広宣流布の布石をする決意」(105ページ)で取り組み、幹部と共に、3コースに分かれて重層的な指導を行いました。「広宣流布は、決して画一的な方法では進めることはできない。国情や文化、民族性などを深く理解し、その国、その地域に価値をもたらす方法を見極めていくこどが大切」(119ページ)であるとの観点から、さまざまな指導を行い、信心の基本を打ち込んでいきました。例えば、布教については 「友の幸福を念じ、自分の信ずる最高の教えを、最高の生き方を教えていく、崇高な慈悲の行為(125ページ)であり、「布教は、自分の臆病な心や生命の弱さを打ち破るという、自己自身との戦いから始まる」(同)と語っています。また、私どもの信心は、どこまでも『法』が根本です。(中略)みんなが心を合わせ、団結して活動を進めていく必要がある」(126ページ)と団結の重要性を強調しています。さらに「正しい信仰には大功徳がありますが、同時に必ず難もあります。その時に教学がないと、信心に疑問をいだく」(147ページ)ことになると、教学研さんの意義をおしえています。初訪問した折の座談会では、人生の悲哀と苦悩い打ちひしがれ、質問の途中で泣きじゃくる人もいました。しかし、2巡目の世界旅では「どうすれば広宣流布が進むのかという、妙法流布の使命と責任から発する問い」(127ページ)が数多くみられました。その姿に、伸一は”広布の春”が来たのを感じ取っていきました。世界旅の中で、伸一が心を砕いていたころは、各国において、いかに社会に根差した活動を展開していくかでありました。そのために、それぞれの国で法人格を取得していく必要があると考え、その具体的な準備にも、この時から取り掛かっています。また、会員の激励とともに、伸一が力を注いだのが、各国のリーダーとなるべき人材の育成でした。当時のメンバーは、仕事や結婚で海外に渡った人が大半でしたが、ドイツなどにおいては世界広布の使命に燃えて、自らの意志で渡った青年も誕生し、新たな広布の流れが生まれつつありました。そして、伸一はパリで同行の友に「国際人として最も大事なポイントは、利己主義に陥ることなく、人びとを幸福にする哲学をもち、実践し、人間として尊敬されているかどうかである」(238ページ)と語り、学会員は真の国際人として生きるよう訴えています。

平和の種子を蒔く

この世界旅の前年10月には”キューバ危機”が起こり、東西冷戦の緊張が高まっていました。伸一は「それまでに構想してきた、世界の指導者との対話が、極めて大事である」(80ページ)ことを痛感します。そうした中で、アメリカのケネディ大統領との会見の打診がありました。伸一はそれを受託し、戸田先生の「原水爆禁止宣言」の精神を伝え、米ソ首脳会談の再開や世界首脳会議の開催を提案しようと思索を重ねていました。大統領との会見は実現しませんでしたが、その後、伸一は世界の指導者との語らいを広げていきます。そこには、大きく二つの理由がありました。第一は、仏法者として「人類の平和への流れをつくりたかったから」(329ページ)です。そして第二は「学会は、決して日本人のためだけの宗教ではなく、全人類のための世界宗教であることを、認識させる努力が大切」(273ページ)であり、「メンバーを守るためにも、自分が各国の指導者と会い、学会の真実を訴え抜いていこう」(同)と決意していたからです。人類の平和を実家するため、そして社会の誤解によって同志が苦しまないようにするために、伸一は自ら”盾”ととなることを誓い、世界指導者たちと語り合っていったのです。伸一は帰国後、男子部幹部会の席上で呼び掛けました。「一国の繁栄や利益のために、あるいは、一国を守るために、他国を犠牲にしては絶対にならないし、そのために指導原理こそが仏法を持った私どもが立ち上がり、十年先、二十年先、いや、百年先の人類のために、平和と幸福を樹立する哲学の種子を、世界に蒔いてまいろうではありませんか」(332ページ)広宣流布は、人類の精神性と境涯を最高に高めゆく崇高なる挑戦です。この伸一の叫びを受け継ぎ、私たちも今いる場所で、平和と幸福の連帯を広げてきましょう。

名言集

永遠不変の方程式

太陽の闘魂をいだいた一人の勇者がいれば、その勇気は波動し、万波を呼ぶ。そこに、広宣流布という難事中の難事を成し遂げる永遠不変の方程式がある。(「文化の華」の章、89ページ)

一日一日が勝負

一日一日が勝負である。一瞬一瞬が決戦である。”この時”を逃さず、力の限り道を切り開いてこそ、未来の燦たる栄光が待っている。(「萌芽」の章、90ページ)

歴史の主役は民衆

歴史をつくるのは民衆です。一人ひとりが自己自身に挑み、わが人生、わが舞台の”主役”として力を出しきっていく時、必ず扉は開かれます。(「萌芽」の章、111ページ)

敵をも味方に

行動すれば、縮こまった心の世界が大きく広がっていく。信心も同じことだよ。批判され、たたかれるからいやだと思って、閉じこもっていたのでは、何も事態は開けない。しかし、勇気をもって、戦うぞと決意してぶつかっていけば、敵をも味方にすることができる。(「早春」の章、242~243ペー ジ)

師の慈愛

たとえ、草の根をかみ、岩盤に爪を立てても、前へ進み、勝って、誓いを果たし抜いてこそ”師子”であるというのが、戸田の指導であった。それは広宣流布の責任の重さを、弟子たちに教えようとする、師の慈愛でもあった。(「操舵」の章、373~374ページ)