世界広布の大道【新・人間革命 第19巻】

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第19巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は13日付、「御書編」は15日付、「解説編」は20日付の予定。

第19巻基礎資料

物語の時期
1974年(昭和49年)2月2日~5月26日

「虹の舞」の章

1974年(昭和49年)2月、山本伸一は本土復帰後初めて沖縄を訪問し、3日、八重山諸島の石垣島へ。記念撮影会、図書贈呈式に続き、地元名士や市民も参加する「八重山祭」が行われ、伸一も、皆と一緒にハッピ姿で、踊りの輪に加わる。翌日、「ヤドピケの浜」で地元のメンバーと懇談。“八重山の未来を開く信念の灯台に”と期待を寄せる。5日、初の八重山諸島の先祖代々追善法要を営み、宮古島へ。「宮古伝統文化祭」に出席し、宮古を「人間の平和と幸福の都」にと語る。翌日、シートーヤー(製糖小屋)の開所式に臨むなど、同志を激励し続けた。那覇に戻った伸一は、沖縄3大学会の合同総会で、全国に先駆けて、高校会の結成を発表。8日の沖縄広布20周年記念総会では、「沖縄を幸福と平和建設の模範の島」とし、世界に平和の波動をと訴える。9日には、名護で、「山原祭」を観賞したあと、高校・中学生らの出演者と懇談。戦争体験の証言集出版を提案する。戦争で苦しんだ沖縄こそ平和実現の使命がある。伸一は、心に虹をいだいて前進するよう、沖縄の友を励ます。

〈1974年(昭和49年)2月、山本伸一は沖縄指導へ。初訪問となる宮古島では草創期、班長として活躍した伊部盛正をたたえるヤシの木を植樹し、妻のトキを励ます〉

負けないことが勝つこと

の人たちの学会への反感は強かった。座談会を開けばタライをガンガン叩いて妨害されたこともあった。  それでも彼(伊部盛正=編集部注)は、“宮古の人たちを幸せにするために、断じて負けるわけにはいかない!”と、一歩も引かなかった。燃える一念がある限り、破れぬ壁はない。やがて同志は三十世帯ほどに広がり、島の東部に班が結成された。ところが、一九六七年(昭和四十二年)七月、盛正は風邪をこじらせ、急逝したのだ。四十六歳の働き盛りであった。(中略)幼子を抱えて、妻のトキは途方に暮れた。(中略)夫の死を契機に、周囲の学会への批判は一段と激しくなった。地域からは除け者にされ、子どもも学校でいじめられた。悔し涙を流しながら、トキは誓った。“私は負けない!”(中略)地を這うようにして働きながら、亡き夫の志を受け継ぎ、歯を食いしばって信心を貫いてきた。(中略)記念植樹に臨んだトキは感慨無量であった。植樹のあと、伸一は彼女に声をかけた。「大変でしたね。全部わかっていますよ」温かく力強い声であった。こぼれそうになる涙をトキは懸命に堪えた。「今はまだ苦しいかもしれないが、あなたは既に勝っているんです。負けないということは、勝つということなんです。これからは、このヤシの木をご主人だと思って、お子さんと一緒に希望の年輪を刻んでいってください。ご主人は、じっと見ていますよ。信心し抜いていくならば、最後は必ず幸せになる。すべて、そのためのドラマなんです」彼女は、声をあげて泣き始めた。「大丈夫だ。大丈夫だよ。御本尊がついているじゃないか。私が見守っています」トキは涙を拭い、顔を上げ、大きく頷いた。その目は、決意に燃え輝いていた。(中略)一家の生活は、まだまだ苦しかったが、トキには、もはや恐れはなかった。胸には、まばゆい希望の虹が光っていた。(「虹の舞」の章、60~62ページ)

「凱歌」の章

3月7日、山本伸一は北・南米訪問へ旅立った。だが、ブラジルへの入国ビザが下りず、渡伯の中止を決断。急遽、中米のパナマを訪問することになる。18日夜、メンバーの大歓声に迎えられ、パナマ入りした伸一は、翌19日、国立パナマ大学を訪れ、パナマ会館の開所式に出席。この日、パナマは、支部から本部として新出発する。20日、大統領を表敬訪問し、夜にはメンバーの集いで、皆がパナマの“平和の主役”にと励ます。22日、8年ぶりにペルーへ。8年前の訪問の折には、学会への誤解から警察関係者の警戒の目が向けられていたが、メンバーは社会に信頼を広げ、状況は一変していた。伸一は、ペルー会館の開所式や、炎天下での記念撮影会に臨み、全力で激励にあたる。首都リマ市は、彼に「特別名誉市民」称号を授与。「世界平和ペルー文化祭」にも市長ら多数の来賓が出席し、社会貢献の同志の「凱歌」が轟いた。伸一は過労で体調を崩すが、病を押して南米最古のサンマルコス大学を訪問。教育の未来を語り合った総長と伸一は、深い友情を結んでいく。

〈3月、山本伸一はペルーを訪問。ペルーの同志は、理事長のビセンテ・セイケン・キシベを中心に奮闘を重ね、学会に対する社会の認識を大きく変えてきた〉

感謝の心こそ幸福の源泉

一は、一軒の洋服店を見つけると、店の中に入っていった。キシベが尋ねた。「先生、洋服をお買い求めになるのですか」「そうです。あなたに服をプレゼントしたいんですよ」伸一は、理事長のキシベが、着古したスーツを着て、前歯も抜けたままになっているのを見て、胸を締めつけられる思いがしていたのだ。キシベは、写真店のほかに、文房具店も営んでいるというが、生活は決して楽ではないようだ。つましい暮らしのなかで、生活費を切り詰め、交通費を工面しては、メンバーのために地方を回っているのであろう。広宣流布のために、喜び勇んで私財を投じて戦う――尊い菩薩の振る舞いである。その信心の「志」は、永遠の大福運となることは間違いない。伸一は笑顔で言った。「キシベさんは、私に代わって、ペルーの同志の幸せのために、すべてをなげうって、戦ってくださった。その功労を讃え、御礼として、スーツをお贈りしたいんです。お好きなものを選んでください」「いや、それは……」キシベは、ありがたさと申し訳なさに、胸がいっぱいになった。「私は、まだまだ、先生のご期待にお応えできてはおりません。本当に不甲斐ない限りです。私には、先生にスーツを買っていただくような資格はございません」伸一は、諭すように語った。「これは私の、せめてもの真心です。日本にいる弟からのお土産だと思ってください。さあ、遠慮なく!」そして、自ら、キシベに似合いそうな服を探し始めた。「先生、そんな、もったいない……」キシベは目頭を潤ませながら、「すいません。では、お言葉に甘えさせていただきます」と言って、深く頭を下げた。謙虚な人には感謝がある。感謝の心は、感動と感激を生み、幸福の源泉となる。(「凱歌」の章、157~159ページ)

「陽光」の章

ペルーを発った山本伸一は、メキシコを経由してロサンゼルスへ。3月29日には、マリブ研修所で、青年部の代表や若手通訳らと懇談する。4月1日、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)を訪れ、「21世紀への提言」と題して記念講演を行う。仏法の生命観を通し、「21世紀を生命の世紀に」と訴えて大好評を博す。これは、海外の大学・学術機関での最初の講演となった。2日には、サンタモニカのアメリカ本部で、海外初となる恩師・戸田城聖の十七回忌法要が行われ、伸一は、人間革命の指標として、健康、青春などの7項目を示す。サンディエゴ市へ移動した伸一は、6日、「サンディエゴ・コンベンション」に出席する。翌7日に開かれた全米総会で彼は、「『社会正義』と『人間革命』の哲学を掲げて、確たる自身の建設と自由の国アメリカの平和を築いていってください」と訴える。訪問中、伸一は自ら「陽光」となって、出会った人、陰の人を励まし続けた。帰国の途次には、病床から復帰した草創の友のために、予定を変更してハワイに立ち寄る。

〈4月、アメリカを訪れていた山本伸一はハワイへ向かう。心臓発作を起こして倒れた、パシフィック方面長のヒロト・ヒラタを見舞うためであった〉

師の真心光る創価の世界

ラタは、伸一のハワイ訪問を前に退院した。しかし、まだ、本格的に健康を回復したわけではなかった。  四月十日、ヒラタは空港に駆けつけ、伸一の到着を待っていた。(中略)「先生!」ヒラタが叫んだ。「おおっ、リキさん」伸一は、ヒラタのニックネームを呼ぶと、駆け寄り、彼の手を強く握り締めた。百キロを超えていた巨体の“リキさん”は、すっかり痩せ細り、痛々しいほどであった。伸一は、彼を抱き締めながら言った。「リキさん、まだ、倒れちゃだめだよ。心配したよ。ずっと、ご祈念していたんだよ。……でも、元気になってよかった。本当によかった」「先生……」ヒラタは、こう言ったきり、絶句した。(中略)ヒラタの目から、大粒の涙があふれた。伸一は、包み込むような微笑を浮かべて、語っていった。「リキさん、題目しかないよ。今こそ信心で宿命を乗り越える時だ。広宣流布に生き抜く決意を定めることだよ。それが宿命転換の原動力だ」広宣流布をわが使命として生きる時、わが身に地涌の菩薩の大生命力が脈打ち、宿命の鉄鎖は打ち砕かれていくのだ。(中略)ヒラタは、ポロポロと涙を流しながら言った。「もう、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません。頑張ります。断固、頑張ります」伸一がヒラタを励ますのを、ムームーやアロハシャツを着た地元のメンバーも、共に目を潤ませながら、じっと見ていた。一人の弟子を思う師の心に、皆、感動せずにはいられなかった。“これが、創価学会の師弟の世界なのか!”メンバーは、伸一の振る舞いを通して、仏法の師弟の真髄を学んでいったのである。(「陽光」の章、284~286ページ)

「宝塔」の章

帰国した山本伸一は、4月26日に長野の県総会へ。28日には、石川へ赴き、北陸広布20周年記念総会に。  その頃、青年部の反戦出版委員会では、戦争体験の証言集の編集作業が進められていた。これは、伸一が、恩師の「原水爆禁止宣言」の精神の継承を青年部に託したことに応え、取り組んできたものだった。出版の先陣を切ったのは沖縄青年部であった。凄惨な体験ゆえに沈黙する人々にも、誠意を尽くして取材を重ねた。そして、1974年(昭和49年)6月、青年部反戦出版の第1号『打ち砕かれしうるま島』が発刊された。続いて広島・長崎の青年部も、被爆体験の取材に取り組み、『広島のこころ―二十九年』『ピース・フロム・ナガサキ』を出版した。やがて85年(同60年)には、47都道府県を網羅した全80巻が完結する。平和と生命の尊厳を訴える反戦出版は、各界に大きな共感を広げた。5月26日、伸一は視覚障がい者のグループ「自在会」の集いへ。幾多の労苦を越えてきた友を、全精魂を注いで激励。“皆が尊厳無比なる宝塔として自身を輝かせゆくのだ”と心から祈りつつ、共に唱題する。

〈広島の金子光子は、14歳の時に被爆し、大やけどを負った。苦しみの中を生き抜き、結婚。長女を授かる〉

被爆体験を平和の使命に

が三歳になったころ、つまずいて、よく転ぶことが気になった。医師に診てもらうと、重度の視力障害で、失明に近い状態であるとの診断であった。“この子には、なんの罪もない! 原爆は、私たちを、どこまで苦しめるのか……”打ちのめされるような思いがした。自分の運命を呪った。そんな時、地域の婦人から仏法の話を聞き、金子は入会を決意したのである。娘を救いたいとの一心であった。宿命の転換、そして、人類の恒久平和をめざす広宣流布の運動に、強く共感した。入会した彼女は、懸命に学会活動に励んだ。一年後、娘を診た担当の医師が尋ねた。「別の病院で治療を受けていますか」なんと、娘の視力が回復してきたというのだ。金子は、信仰に励むなかで、原爆の恐ろしさを未来に伝え、平和の永遠の礎をつくることが、被爆者である自分の使命だと考えるようになった。そして、被爆体験を語り継ぐ会の一員となり、広島を訪れる修学旅行生などに、被爆体験を語るようになる。(中略)一九九三年(平成五年)夏のことである。広島を訪れたインドのガンジー記念館館長のラダクリシュナン博士は、金子光子に尋ねた。「原爆を投下したアメリカをどう思いますか」彼女は率直に答えた。「憎んだ時期もありました。でも、恨むことに心を費やすことが、どれほど惨めであるか……人生は何に生命をかけるかが大切です。私はすべての人の幸福のため、すべての国の平和のために生命を捧げます」憎しみを乗り越え、世界の平和のために生命をかける婦人の言葉に、博士は感嘆の声をあげた。「ワンダフル!」それから博士は、感動に頰を紅潮させながら、一人の青年に言った。「あのご婦人の心のなかに、不滅の力がある。あのご婦人の心の行く手に、世界の希望がある」「宝塔」の章、348~350ページ)

第19巻御書

御文

御文

御本尊全ごほんぞんまった余所よそもとむ ことなかれ・只我ただわ等衆生らしゅじょう 法華経ほけきょうたもちて南無妙法蓮華経ととな うる胸中きょうちゅう肉団にくだん においはしますなり(御書1244ページ、日如御前御返事にちにょごぜんごへんじ

通解

この御本尊を決してべつの所に求めてはならない。ただ、私たち衆生 しゅじょうが法華経をたも って南無妙法蓮華経と唱える、その胸中きょうちゅうの肉団にいらっしゃるのである。

小説の場面から

〈1974年(昭和49年)の「立宗宣言の日」にあたる4月28日、山本伸一は、北陸の同志に、御本尊の意義について語る〉仏は、遠い彼方の世界にいるのではない。また、人間は神の僕ではない。わが生命が本来、尊極無上の仏であり、南無妙法蓮華経の当体なのである。ゆえに、自身の生命こそ、根本尊敬、すなわち本尊となるのである。そして、その自身の南無妙法蓮華経の生命を映し出し、涌現させるための「明鏡」こそが、大聖人が曼荼羅として顕された御本尊なのである。(中略)人間の生命を根本尊敬する日蓮仏法こそ、まさに人間尊重の宗教の究極といってよい。そして、ここにこそ、新しきヒューマニズムの源泉があるのだ。

御本尊は生命映す「明鏡」

誰もが、平和を叫ぶ。誰もが、生命の尊厳を口にする。しかし、その尊いはずの生命が、国家の名において、イデオロギーによって、民族・宗教の違いによって、そして、人間の憎悪や嫉妬、侮蔑の心によって、いともたやすく踏みにじられ、犠牲にされてきた。いかに生命が尊いといっても、「根本尊敬」という考えに至らなければ、生命も手段化されてしまう。(中略)人間の生命に「仏」が具わり、“本尊”であると説く、この仏法の哲理こそ、生命尊厳の確固不動の基盤であり、平和思想、人間主義の根源といってよい。(「宝塔」の章、300~301ページ)

御文

末法まっぽうにして妙法蓮華経の五字をひろめんもの 男女なんにょはきらふべからず、皆地涌になじゆ菩薩ぼさつ 出現しゅつげんあらずんばとな へがたき題目なり(御書1360ページ、諸法実相抄しょほうじっそうしょう

通解

末法において妙法蓮華経の五字をひろめる者は、男女は問わない。みな地涌じゆ 菩薩ぼさつの出現でなければ、唱えることのできない題目なのである。

小説の場面から

1974年(昭和49年)2月、山本伸一は、沖縄の友に広布の使命への自覚について訴える〉「末法にあって、題目を唱え、広宣流布の戦いを起こせるのは、地涌の菩薩です。(中略)私たちは、どんな宿業に悩んでいようが、本来、地涌の菩薩なんです。宿業も、末法に出現して広宣流布するために、自ら願って背負ってきたものなんです。でも、誰を見ても、経済苦や病苦など、苦しみばかりが目立ち、地涌の菩薩のようには見えないかもしれない。事実、みんな、日々悩み、悶々としている。しかし、広宣流布の使命を自覚し、その戦いを起こす時、自らの胸中に、地涌の菩薩の生命が、仏の大生命が厳然と涌現するんです。不幸や悩みに負けている仏などいません。苦悩は必ず歓喜に変わり、境涯は大きく開かれ、人間革命がなされていく。そして、そこに宿命の転換があるんです」(中略)

皆が使命深き地涌の菩薩

法華経の会座において、末法の広宣流布を託されたのが地涌の菩薩である。そして、その上首・上行菩薩の姿を現じられたのが御本仏である日蓮大聖人である。したがって、私たちは広宣流布の使命に生きる時、地涌の菩薩であるその本来の生命が現れ、大聖人の御生命が、四菩薩の四徳、四大が顕現されるのである。それによって、境涯革命、人間革命、宿命の転換がなされていくのだ。 (「宝塔」の章、333~335ページ)

「利他」の一念

ここにフォーカス「虹の舞」の章で、山本伸一が「利他」の精神を語る場面が描かれています。彼は、「創価学会の運動の根本をなすもの」は、どこまでも相手のことを思いやる「利他」の一念であり、「この利他の心を人びとの胸中に打ち立てることこそ、平和建設のポイント」と訴えます。そして、「自分の利益ばかり考える生き方」は、「世の中をかき乱してしまうことになる」と指摘します。近年、さまざまな分野で、「レジリエンス」という概念が用いられています。「回復力」「抵抗力」のことで、「困難を乗り越える力」を意味します。心理学でも研究が進んでおり、「レジリエンス」を発揮する要素の一つとして、「信仰に基づく利他の行為」が挙げられています。「利他」の実践は、人生の苦境を勝ち越える要諦でもあるのです。コロナ禍によって今、人間観や人生観が見つめ直されています。仏法の哲理は、他者の生きる力を引き出すことによって、自身の小さな殻が破られ、生きる力が増していくことを教えています。“自分さえよければ”という「利己主義」から、自他共の幸福をめざす生き方への転換を促しているのです。

第19巻解説

紙面講座池田主任副会長


「虹の舞」の章の舞台は、本土復帰後の沖縄です。沖縄の友は根深い偏見や無理解を乗り越え、地域広布を大きく進めてきました。山本伸一は「メンバー一人ひとりの胸中に、大飛躍を期す発心の火をともそう」8ページ)と離島にも足を運びます。伸一と沖縄の同志の強い絆を彩ったのは「虹」でした。石垣で、宮古で、そして名護で、虹がかかる「一幅の名画」のような場面が描かれます。そして、伸一は「虹」を通し、沖縄の同志に、こう励ましを送ります。「どんなに闇が深かろうが、嵐が吹き荒れようが、心に虹をいだいて、晴れやかに、威風堂々と前進していっていただきたい。虹とは、『希望』であり、『理想』であり、『大志』です。その源泉が『信心』なんです」(103ページ)大変な時こそ、自身の心に虹をいだき、“希望の虹”を友の心にかけていく||それこそが沖縄の心であり、創価の魂です。この5月、暗い社会を照らす創価の“励ましの虹”が、いよいよ鮮やかに光彩を放ち始めました。5月3日を目指して進められてきた青年部の参加型プロジェクト「うたつく」(歌をつくろう)。コロナ禍で“自分たちにできることを”と考え、国境や世代を超え、オンラインを通じて新しい歌が誕生しました。完成した「未来の地図~Step Forward~」の歌詞に、「雨が降ろうと/あしたは咲く/心の虹をかけよう」とあります。青年部発の歌は、人々の心に虹をかける思いも込められているのです。5日からは「2030年へ希望の虹をかけよう! 未来部レインボーチャレンジ」がスタートしました(6月30日まで)。自宅で過ごす時間が増えた未来部員が“七つの項目”に挑戦し、成長のチャンスとしていくものです。その一つに、「わが家の信心の歴史を聞いてみよう」という項目があります。親にとっては、師弟の原点や一家の広布史を語り継ぐ貴重な機会となります。「虹の舞」の章で、「子どもと真正面から向き合い、手塩にかけて、教えるべきことを教え、心血を注いでいってこそ人間は育つ」(46ページ)と強調されています。わが家に“創価後継の虹”をかけていくことから、広布の未来は築かれていくのです。

21世紀は「生命の世紀」

第19巻では、パナマ大学、ペルー・サンマルコス大学、米UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)など、伸一が各地の大学を訪問し、教育交流を結ぶ様子が記されています。交流を率先して進めたのは、大学は国の基盤であり、「大学との交流こそが、平和・文化の悠久の大河になる」(122ページ)との信念からでした。1974年(昭和49年)4月1日、伸一は初めて、世界の大学での講演をUCLAで行います。歴史的な「21世紀への提言」です。そこで伸一は、21世紀を「人間が生命に眼を向ける『生命の世紀』としなければなりません」(220ページ)と強く訴えます。仏法という生命の視座から、欲望や煩悩に支配された現代文明の本質を浮き彫りにした同講演は、21世紀の今、多くの課題に直面する人類に対し、大きな指針を与えるものです。池田門下として深く心に刻みたいのは、伸一の教育交流の原動力に、戸田先生が万般の学問を授けた「戸田大学」の卒業生としての誇りがあったということです。「陽光」の章で、伸一は「戸田大学は世界一の、最高の大学であると確信しています。私は、その戸田大学の優等生として、それを世界に証明する義務がある」(276ページ)と、アメリカの青年たちに言います。UCLAでの講演に際しては、心の中で戸田先生に、「これから先生に代わって、(中略)世界に向かって、創価思想の叫びを放ちます。弟子の戦いをご覧ください」(214ページ)と語り掛けました。伸一は、校舎さえなかった「戸田大学」を“世界一”たらしめようと走り抜きました。32回に及ぶ世界の大学・学術機関等での講演や、授与された396の名誉学術称号は、“師を宣揚せん”との真心の結実ともいえます。本年は「戸田大学」の講義の開始から70周年。今月は、初の名誉学術称号であるモスクワ大学の「名誉博士号」が池田先生に贈られてから45周年を刻みます。池田先生は、「弟子として師を語る時、最も誇りに燃え、歓喜があふれた」(126ページ)とつづっています。“師匠の偉業を伝え抜こう”との行動に、最高の勇気と喜びが備わっていくのです。

「反戦出版」の意義

72年(同47年)11月の本部総会で、伸一は、すべての国の民衆は「生きる権利」をもっており、「その生存の権利に目覚めた民衆の運動が、今ほど必要な時はない」「私は、その運動を青年部に期待したい」(305ページ)と呼び掛けます。このスピーチが、青年部が「反戦出版」に取り組む起点となりました。沖縄青年部はいち早く、73年(同48年)5月の県青年部総会で「沖縄決議」を採択し、“戦争体験記”の発刊を盛り込みます。伸一は、翌年2月、沖縄を訪問した際、沖縄の反戦出版委員長にアドバイスを送りました。仏法の思想が「世界の指導者に、全人類の胸中に打ち立てられるならば、戦争など起こるはずがない。また、貧困や飢餓、疾病、人権の抑圧などが、放置されるわけがない」(336ページ)。「生存の権利」といっても、それを裏付ける哲学が不可欠であり、仏法こそが生命尊厳の大原理である、と。そして同年6月、沖縄青年部の手によって、青年部反戦出版第1弾となる『打ち砕かれしうるま島』が発刊されます。その後、広島、長崎をはじめとして、反戦出版は全国に広がっていきました。「原水爆禁止宣言」以来、人間主義の思想を根幹に、師匠の構想を実現する“新しい運動の潮流”を広げてきたのが青年部です。米ペンシルベニア州の郡議会はかつて、青年部の社会貢献に共感し、SGIの青年が「池田SGI会長とともに、社会全体に人間主義の思想を確立する、その使命と責任を担う」と期待を寄せました。深き使命を担う青年部を大切にし、青年を旗頭に励ましの輪を広げていく||そこに師が示された「若い世代が立ち上がってこそ、平和という偉業はなる。崩れざる平和を築くために、青年を、若い力を育むのだ」(339ページ)との実践があるのです。

名言集

「民の声」

 政治も経済も、その実像は民衆の暮らしに端的に現れる。真実は評論家の言葉にではなく、生活者の声にある。「民の声」こそが、「天の声」なのだ。(「虹の舞」の章、10ページ)

新しい挑戦

状況や事態は、刻々と移り変わっているし、時代も人びとの感性も変化している。したがって、広宣流布を進めるうえでも、常に新しい挑戦を忘れてはならない。(「虹の舞」の章、12ページ)

価値の創造

時間の浪費は、生命の浪費につながる。価値の創造は、有効な時間の活用から始まる。(「凱歌」の章、117ページ)

一人を大切に

一人を大切にし、一人の人に、勇気と使命の火をともす。胸中に幸福の花を咲かせる――そこにしか、広宣流布の大道はない。(「凱歌」の章、163ページ) ジ)

恒久平和の異名

広宣流布とは恒久平和の異名でもある。断じて戦争をなくそうという戸田城聖の誓いから、戦後の創価学会は始まった。ゆえに、平和を祈り、平和のために戦うことが、学会の精神なのだ。(「陽光」の章、288ページ)

想像力の結晶

一つの事柄から、何を感じ取るか。人の苦悩に対して想像力を広げることから、「同苦」は始まるのである。配慮とは、人を思いやる想像力の結晶といえよう。(「宝塔」の章、376ページ)