世界広布の大道【新・人間革命 第18巻】

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第18巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は8日(木)付、「御書編」は15日付、「解説編」は22日付の予定。

第18巻基礎資料

物語の時期
1973年(昭和48年)7月7日~74年1月31日

「師子吼」の章

1973年(昭和48年)9月8日、東京の有楽町で、山本伸一の小説を原作した映画「人間革命」がロードショー公開される。映画化のきっかけは、原作に感動したプロデューサーの要請だった。伸一も撮影現場を訪れ、俳優やスタッフを励ますなど、誠心誠意、応援しあ。当代一流の映画人が総力を挙げた作品は、記録的な大ヒットをなる。76年(同51年)には続編が公開され、これも大好評を博する。「言論・出版問題」以来、聖教新聞社の一部の記者に、安易に社会に迎合して、信心を軽視してします風潮が生じていた。その本質は仏法への確信の喪失にあった。伸一は足繁く新聞社を訪れ、記者をはじめ、職員と懇談を続けた。記事の書き方から生活態度までアドバイスしながら、”広布の使命に行き抜け!”仏法の眼を磨け!”と、職員の根本精神を教えていく。さらに73年の5月3日には、通信員大会に出席し、「永遠に世界の庶民の味方たれ」など、聖教新聞の基本理念を発表する。正義の「師子吼」を放つ言論城が、伸一の手づくりでそびえ立っていったのである。

〈山本伸一は、1972年(昭和47年)秋から、執務の中心を聖教新聞社社に移し、記者をはじめ、職員一人一人の育成に当たる。その成長に大きな期待を寄せ、さまざまな激励を重ねていった〉

配達員への感謝忘れず

本伸一は、新聞配達をする少年のブロンズ像を聖教新聞社に贈った。高さ約一メートル三十センチの、新聞を携えて走る少年の像である。これは、第二回「第三文明展」に「無冠の友」のタイトルで出品された著名な彫刻家・小金丸幾久の作品である。伸一は、この像を、なぜ聖教新聞社に贈ったか、職員に語った。「新聞を本当に陰で支えてくださっている力は配達員の方々だ。大雨の日はずぶ濡れになり、吹雪の日は寒さに凍えながら、来る日も来る日も、朝早く新聞を配ってくださる努力があるからこそ、聖教新聞が成り立っている。私は、その方たちを最大に讃えた。そのせめてもの思いとして、この像を聖教新聞社に設置したいんです」伸一の話を聞いた記者たちは、ハッとした。いつの間にか、新聞が配達されて当然のような感覚になっていたのだ。その心を見透かしたように、伸一は言った。「特に記者の諸君は、”陰の力”である配達員の方々への感謝を、絶対に忘れてはならない。一般紙の世界では、記者は原稿を書くだけで、購読の推進や配達については無関心であるというのが実情かもしれない。しかし、聖教新聞の記者は、そうであってはならない。原稿を書き、自ら率先して購読推進にあたり、読者の声に耳を傾け、配達員さんを最高に尊敬していくんです。それは、新聞界の改革にもなる」この新聞少年の像は、伸一によって本社前の庭に設置が決まった。そして、この年(1973年=編集部注)の十二月二十九日、業務総局の職員や配達員、販売店の子弟の代表らと共に、除幕式を行ったのである。業務総局の職員には、始業時間より、一時間以上も前に出勤し、配達員や販売店主の無事故を真剣に祈っているメンバーが数多くいた。伸一は、その姿をじっとみていたのである。(「師子吼」の章、89~90ページ)

「恩師」の章

“学会精神が脈打つ、後継の人材を育てねばならぬ”ーー山本伸一は、その決意で1973年の夏期講習会に臨み、約10万人の参加者を全力で激励する。そのなかには、男子部の人材育成グループ「白糸会」もいた。彼らは、5年前の夏期講習会の折、伸一と共にボートに乗るなどしたメンバーであり、一段と成長した姿での再会となった。8月18日、彼はハワイで開催された北・中・南米の代表者会議に出席。席上、各国の協力のため「パン・アメリカン連盟」が結成される。9月には北海道へ。13年ぶりに訪れた厚田村(当時)では、「村民の集い」に招かれる。村を挙げての歓迎は、戸田先生の故郷を楽土にと願う伸一と同志が築いた、 信頼の結実であった。帰京後も、埼玉や、「73’山陰郷土まつり」が行われる島根、さらに鳥取を訪問。どの地にあっても、同志は、伸一との「師弟共戦」を誓い、新たな出発を開始する。11月、彼は、栃木の県幹部総会に、尋常小学校の恩師・檜山夫婦を招待し、恩師をたたえる。それは、伸一の、「恩師」に報いようとする、仏法者としての信念の発露でもあった。

〈73年(同48年)11月、山本伸一は栃木県幹部総会に、尋常小学校時代恩師である檜山浩平先生を招待。再会を果たした〉

恩を感じ、恩に報いる

山は、目を細めながら語った。「・・・ご立派になられて。大変なご活躍、嬉しく、誇りに思っておりますよ。先生の本は読ませてもたっています。トインビー博士とも対談をされていたんですね」伸一は、敬愛する恩師に「先生」と言われ、いたく恐縮して答えた。「はい。人類の未来のために、真剣い語り合いました。檜山先生が、私のことを、そこまで知ってくださっていることに感動しました。教え子をいつもでも思い、大切にしてくださる先生の優しさに、心打たれます」(中略)伸一は、最後に、檜山に言った。「檜山先生、本日は、本当にありがとうございました。今日の私があるもの、先生のお陰でございます。先生の教え子として、誇りをもって、社会のために尽くし抜いてまいります。先生のご恩は決して忘れません」そして、深々と、丁重に頭を下げた。檜山は、成長した教え子の姿に、感無量の面持ちで、笑みを浮かべて語った。「どうか、体を壊さないように頑張ってください。もっとも、こう言っても、休む暇もないようですが・・・」どこまでも教え子を思いやる檜山の心が、伸一の胸に熱く染みた。伸一は、「檜山先生」だけでなく、自分が教わった教師全員に、強い感謝の念をいだき、深い恩義を感じていた。いや教師に限らず、自分がこれまでに関わったすべての人に、同じ思いをいだいていた。それは、仏法者としての、彼の信念によるものであった。仏法の基本には、「縁起」という思想がある。それは「縁りて起こる」ということであり、一切の現像は、さまざまな原因と条件が相互に関連し合って生ずるという意味である。つまり、いかなる物事も、たった一つだけで成り立つことはなく、すべては互いに依存し合い、影響し合って成立することを、仏法では説いているのである。(「師恩」の章、190~196ページ)

「前進」の章

11月10日、山本伸一は四国を訪問する。愛媛の同志は、聖教新聞の購読推進をもって、彼を迎えた。松山会館(当時)で伸一は、”無冠の友”たちが育てた菊の鉢植を鑑賞し、そのメンバーを「菊花の友」とするよう提案する。12日には香川県へ。広宣流布に生き抜き、早世した学生部員の遺徳を顕彰する桜の前に立ち、敬意を表する。また13日、徳島県に向かう途中、津田の松原で求道心をたぎらせた老夫婦と出会い、励ます。その後、徳島県幹部会で伸一は、学会員一人一人が、「”時代の財”であり、”社会の宝石”」であると訴える。1973は、石油危機による物価高騰と不況が深刻化し、苦闘する同志も多かった。伸一は、東京各区を回りながら、「不況に負けるな!今こそ信心で勝て!」と呼び掛けていく。12月、本部総会が初めて関西で開催された。席上、伸一は、時代の建設には、人間生命の変革が必要であると力説する。翌年の「社会の年」へ、同志は、人間主義の新時代を開くため、勇んで大前進を開始する。

〈73年11月、山本伸一は愛媛へ。地元の同志は、聖教新聞の購読推進に挑むとともに、松山会館を菊の鉢植えで飾り、伸一を迎えた〉

美しい菊に輝く真心

売店主らと話し合って、配達員のメンバーが菊作りを始めたのは、新聞の購読推進に本格的に着手した、五月のことであった。菊を育てた経験のある人など、ほとんどいなかった。しかし、見事な大輪の菊で山本会長を迎えようと、水をやり、題目を送り、丹精込めて育てていった。なかには、途中で虫がつき、またあらたに、苗から育て始めなければならない人もいた。しかし、それでも、決してあきらめなかった。メンバーの一念に育まれ、菊は日ごとに伸び、花をつけ始めた。”無冠の友”は菊の成長を励みにし、また、その成長に負けまいと、新聞の購読推進に走った。皆、力の限り戦った。菊の花も見事に咲いた。菊は”無冠の友”の大勝利の象徴となった。戦い抜いた人には、歓喜がある。生命の躍動があり、充実がある。全員が「私の育てた菊を見てください」とばかりに、喜々として、鉢植を会館に運んだ。菊には、それぞれ名前がつけられていた。「開道の花」「仲良しの花」「題目菊」・・・。花の美しさにも増して、皆の真心は、さらに美しく、まぶしかった。白、黄、赤、紫・・・。伸一は、一つ一つの菊花を、丹念に鑑賞していった。彼は、見えにくい二列目、三列目にあった菊花を指差し言った。「いい名前をつけているね」そこには「共戦の菊」「広布の菊」と書かれていた。その二つの菊は、花の完成度としては高いものではなかった。(中略)伸一は、不揃いの花びらのかなに、菊作りに挑戦した同志の、健気な真心を見ていたのである。「みんな、苦労して育ててくれたんだね・・・。心の花です。勝利の花です。尊い真心が胸に迫ってきます」(「前進」の章、207~208ページ)

「飛躍」の章

1974年(昭和49年)の新年勤行会で山本伸一は、「大悪は大善の来るべき瑞相」(御書1467ページ)との御書を排し、学会は逆境を希望に転ずる確信で「社会の年」を出発。1月19日、伸一は、九州大学総会に臨み、翌20日、北九州での第22回「青年部総会」に出席する。席上、青年部は、日本国憲法擁護のアピールを採択。反戦出版や核廃絶一千万署名などの運動が打ち出される。伸一は、1月26日、鹿児島から香港へ。初訪問の61年(同36年)には、10世帯ほどであった香港のメンバーは、13年で8000世帯に大発展。同志は、誤認識の批判をはね返し、社会に着実に信頼を広げてきた。28日、香港会館で香港広布13周年記念の集いが行われる。彼は、「仏法即生活なれば、一人も漏れなく功徳の生活の実証を!」など三つの指針を示す。そして、会館の庭での祝賀会に、メンバーが用意した中国服で参加し、交流のドラマをつづる。また、香港大学、香港中文大学などを訪れ、文化・教育交流の新たな一歩を踏み出す。さらに、「東南アジア仏教者文化会議」に出席。世界広布の「飛躍」の時代をつくり続ける。

〈74年(同49年)1月、山本伸一は青年部総会に出席。登壇した女子部の吉川美香子は、幸福を他に求めかちな、若い女性たちの傾向性や悩みについて掘り下げていった〉

どこまでも友の幸せ願う

動的な自己をつくり、心を大きく、強くすることが、「人間革命」なのだ。女子部の吉川美香子は、そのための信仰であることを強く訴えた。さらに、真の友を求めながら自らが傷つくことを恐れ、深い関わりを避ける生き方の背後には、根深い人間不信があることを指摘していった。「人の尊さも、自分の可能性や強さも信じることがきなければ、人間はどうしても臆病になり、閉鎖的になります。しかし、仏法では、すべての人が輝かしい個性をもち、その胸中に”仏”の生命があると説きます。この法理のもとに、互いに信じ最も美しい宝石のごとき、若き女性の連帯をつくりあげてきたのが、わが女子部であります。(中略)友を思う真心は、自ずから仏法対話となっていきます。いわば折伏は、友情の帰結であり、また、それによってさらに強い友情が育まれていきます。不信と猜疑の渦巻く現代社会を蘇生させゆくものは、確たる信条をもった、春風のごとき人間生命の交流です。(中略)私たち女子部は、『友の幸せのために、私はいかなる苦労も惜しまない。いな、それこそ私の最高の喜びである』と胸を張って折伏に挑戦することは、仏法者として、自分の生き方の芯をつくり上げ、福運を積むうえで、極めて重要なことといえよう。折伏は、すぐには実らないかもしれない。しかし、仏法を語り、下種をし、末永く友情を育んでいくならば、いつか、その人も信心に目覚める日が来るものだ。決して結果を焦る必要はない。大事なことは、友の幸福を願う心だ。仏法を語る勇気だ。勇気が慈悲にかわるのである。また、壮年、婦人は、広宣流布の未来のために青年を大切にし、徹底して応援し、その育成に全力を注がねがねばならない。(「飛躍」の章、308~310ページ)

第18巻御書

御文

御文

海辺かいへんには木をたからとし山中さんちゅうには塩を財とする、旱魃かんばつには水を財とし闇中あんちゅうにはを財とし・女人はおとこを財とし夫は女人をいのちとし・・・・(御書1554ページ、上野殿御返事うえのどのごへんじ
通解

海辺うみべでは木がたからであり、また山中では塩が財である。旱魃かんばつでは水が財であり、またやみの中では灯火ともしびが財である。また、女人はおっとを財とし、夫は妻を命としている・・・。
小説の場面から

〈1973年(昭和48年)11月、山本伸一は徳島県幹部総会で、現代における最も大切な財とは何かを語る〉山本伸一の講演となった。(中略)人びとが財として最も必要とするものは、時代や状況によって異なっていることを述べ、現代において、最も大切な財とは何かを語っていった。「現代は、政界的にも『人間性喪失の時』であり、『生きがいを失っている時』であるとしてきされています。また、『哲学・思想の混迷をきたしている時』でもあります。ゆえに、『人間性』と『希望』『生命力』こそが現代の財であり、さらに、それを発現することができる『人間が信頼するに足る仏法哲学』こそ、根本となる最高の財なのであります」

創価の世界に輝く精神の財

その財は、すべて創価学会のなかにあるのだ。自らもさまざまな苦悩をかかえながら、皆を幸福にするのだと祈り、願い、走る、わが同志の美しき「人間性」の輝きを見るがよい。絶望と悲哀の淵から、敢然と立ち上がり、「希望」に燃え、「生命力」をみなぎらせて、自身の人生と社会の建設に取り組む、わが同志の姿を直視せよ。そして、生命の根源の法則を説き明かし、人間の尊厳の哲理を示している日蓮仏法を求め給え。われらは、それを実践し、現実生活の上で、その法理の真実を証明してきたのだ。(「前進」の章259~260ページ)

御文

国土乱こくどみだれん時は鬼神きじん 乱るるがゆえ万民ばんみん乱る(御書19ページ、立正安国論りっしょうあんこくろん
通解

国土がみだれる時はまず鬼神きじんが乱れる。鬼神が乱れるゆえに万民ばんみんが乱れる。
小説の場面から

1973年12月、伸一は本部総会で講演。石油危機に始まる、社会の混迷の根本原因について指摘する〉「ここでいう『鬼神』とは悪鬼であり、(中略)生命自体を破壊し、福運を奪う、『人間の内なる作用』であります。現代的に表現すれば、『生命の魔性』の意味であり、人間が完全にエゴにとらわれ切っていく、その本質を『鬼神』と表現したと思われる。この人間のもつ生命の魔性の跳梁が、『鬼神乱る』ということになるのであります」(中略)「最初の『国土乱れん時は』の『国土』とは、自然環境的な面とともに、『社会』という意味をもっております。自然と人間とを含めた総体としての『国土』であり、その国土が乱れる時には、それ以前に、必ず人間のエゴ、いな、エゴよりもっと本質的な生命のもつ魔性が、底流として激しく揺れ動くのであります。

生命に潜む魔性を打ち破れ

その結果、『万民』すなわち、あらゆる人びとが狂乱の巷へと進み、やがて、その国土、社会は、破滅の方向へと走っていく。ゆえに、この『鬼神乱る』という生命の本質を解決する法をもたない限り、社会の乱れを解決することはできない。したがって、仏法という生命の大哲理を流布する、私ども創価学会の使命はあまりにも大きい。今こそ、広宣流布の新しき潮流をもてt、社会を潤す時代がきたことを、私は宣言しておきたのであります。 (「前進」の章285~286ページ)

配達員の皆さまに心から感謝

ここにフォーカス

「前進」の章に、1973年(昭和48年)11月の山本伸一の愛媛訪問を、本紙の購読推進で荘厳しようと、配達員の友が対話に駆け巡ったことが紹介されています。聖教新聞は、創価学会の機関紙だから、学会員が購読していればそれでいいーー当時は、そうした風潮がありました。ところが、愛媛の配達員は、地域に学会理解の輪を広げるため、「本紙の購読推進」という新たな挑戦を開始していきました。購読を断られても、配達員の友は唱題で勇気を奮い起こし、真心の対話を重ねました。その勇気の炎は、ほかの同志にも広がり、愛媛広布の土壌が耕されていったのです。伸一は、配達員の奮闘に対して、「地域の人たちに聖教新聞を購読してもらおうというのは、未来を開く新しい発想です。これは、将来の広宣流布運動の基調になるでしょう」とたたえました。今、コロナウィルスの感染が拡大し、社会不安が広がっています。その状況下で、きょうも、私たちのもとに本誌紙は届きます。「日本中、世界中の人に読ませたい」--戸田先生の言葉を胸に、感染防止に努めながら、配達に尽力してくださる方々への感謝は尽きません。配達員の皆さま、本当にありがとうございます。皆さまの健康と無事故を、真剣に祈り続けてまいります。

第18巻解説

紙面講座池田主任副会長


「前進」の章では、「オイルショック」(石油危機)について詳しく触れられています。1973年(昭和48年)10月、第4次中東戦争が勃発し、石油価格が高騰しました。買いだめやモノ不足をはじめ、日本社会に混乱が広がり、世界は不況に陥りました。山本伸一は、こうした社会の混乱の根本原因について、御書の「諌暁八幡抄」を拝しながら、「その背後には、欲望に翻弄され、便利さや快適さばかりを求める人間の生き方がある」(272ページ)と洞察します。そして、「法華経の行者・日本国に有るならば其の所に栖み給うべし」(御書588ページ)との一節を拝し、諸天善神は、私たちの実践によってその働きを示すのであり、「どこまでも唱題第一に、広宣流布の使命を断じて忘れることなく、智慧を絞り、活路を開くために努力し抜いていくこと」(275ページ)を強調しました。今、新型コロナウィルスの感染拡大によって、世界は大きな危機に直面しています。国連のグテーレス事務総長は、「第2次世界大戦以降で最も困難な危機」との認識を示しました。こうした状況の中で、医療に従事するドクター部・白樺の友をはじ、多くの同志が地域・社会のために奮闘してくださています。青年部は、新たな”活路を開く”取り組みを開始しました。不要不急の外出を控えることを訴える「stayhome(ステイホーム)プロジェクト」や、青年部と医学者による「オンライン会議」が反響を呼んでいます。さらに、”歌の力”で困難を乗り越えようと、歌づくりのプロセスを共有する参加型プロジェクト「うたつく」(歌をつくろう)の輪も広がっています。「飛躍」の章は、世界経済の激動の中で幕を開けた74年(同49年)元日から始まります。当時の同志は、「”今こそ、私たちが立ち上がるのだ。試練の時代だからこそ、仏法を保った私たちが、希望を、勇気を、活力を、社会に発信していくのだ!”」(291ページ)と誓い合いました。私たちの信仰は、逆境を”前進のバネ”へ転じていく力なのです。

混迷の社会の羅針盤

新型コロナウィルスによる活動自粛が続く局面において、聖教新聞が果たす役割は大変に大きい。池田先生は随筆「生命の凱歌の言論城」(本紙20日付)で、「『変毒為薬』と『価値創造』の英知を発信する」聖教の使命を述べられ、「人間への『励まし(エンカレッジ)』と『内発的な力の開花(エンパワーメント)』を促す言葉を紡ぎ、苦難に負けない民衆の心をつなぐ柱とならねばならない」と強調されました。「師子吼」の章では、伸一が、聖教た携わる関係者の対し、時に指針を示し、時に万感の励ましを送る模様が描かれます。73年5月3日に開催された「全国通信員大会」では、聖教新聞は「読者を『彼』として扱わず、親しい『あなた』として呼びかける新聞である」(68ページ)と確認。記者に対しては、「全読者に対して、喜んでいたら共感を表明し、悲しんでいたら勇気づけ」「混乱したら整理し、弱ったら守る」(同)と具体的にアドバイスをしました。第18巻につづられる通り、聖教新聞の土台と発展は、師匠の手作りで築かれたものなのです。昨年9月、「創価学会 世界聖教会館」が竣工し、池田先生は足を運ばれ、聖教の歴史に新たな一ページが刻まれました。そして今月20日、聖教新聞は創刊69周年を迎えました。世界聖教会館の正面玄関に、「聖教新聞 師弟凱歌の碑」が設置されています。先生は「聖教の使命はあまりにも深く、重い」「此の地から、永久に師弟共戦の師子吼が放ちゆかれることを信ずる」と碑文にとどめられました。不安が覆う時代だからこそ、「混迷する社会の羅針盤」(204ページ)である聖教新聞は、”人間の機関紙”として、勇気と希望の大師子吼を轟かせてほしいと思います。

求道の心燃やし

恩を感じ、恩に報いるというのは、人類共通の倫理です。日蓮大聖人は、「いかにいわつや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」(御書293ページ)と仰せです。人間は、”父母”と、生まれてくる”国”を選ぶことはできません。しかし、”師匠”は自ら求め、自分の中に定めることができます。「師恩」の章では、伸一を人生の師と決めた同志たちの奮闘が描かれます。男子部の人材育成グループ「白糸会」のメンバーは、68年(同43年)の結成以来、長きににわたり、伸一から、数々の激励を受け、「一途に求道心を燃やし、仏法の師を求め抜いた」(124ページ)のです。また、鳥取の女子部員は、小児まひがある中で、「73’さんいん郷土まつり」で、リズムダンス「梨娘」を披露。「自分の尊き使命を教えてくれた山本会長に、師恩を深く感じながら」(182ページ)練習に励むことで、見事に演じきることができました。同章では、第2代会長・戸田城聖先生の故郷である北海道・厚田村(当時)を舞台にした、伸一の「報恩」のドラマもつづられています。伸一は、60年(同35年)の第3代会長就任直後、厚田村を訪問。ことの時、恩師・戸田先生に対する伸一の”師への報恩の思い”に触れた厚田の同志たちは、「山本先生に代わって、戸田先生の故郷を守り抜こう」(137ページ)と立ち上がりました。そして、”山本先生ならどうされるか”を真剣に考え、師匠と心を合わせ、地域広布に走り抜きました。厚田の友の地道な行動によてって、信頼が大きく広がりました。73年9月には、伸一を招いて「村民の集い」が開催され、戸田先生の思いを受け継いだ「図書贈呈」を行われました。厚田村の広布の進展は、伸一の戸田先生に対する、そして厚田の友の伸一に対する報恩の証でもありました。「心に師をもって戦う人は強い」「師の心をわが心とする時、弟子もまた師の大境涯に連なり、無限の力が湧く」(140ページ)のです。師弟不二の道こそ、学会の魂であり、広宣流布の生命線です。池田先生は、戸田先生の「師恩」に報いる行動に徹し抜かれました。「師恩」とは、弟子が、「師匠以上に成長し、法のため、社会のために尽くしぬく」(198ページ)ことにほかなりません。創価三代の師弟の精神を胸に、弟子の道を貫くーーそれが、私たちの池田門下の実践です。

名言集

新たな長所

自分のハンディや欠点を自覚し、その克服のために、懸命に挑戦を開始する時、それは新たな長所となって輝く。そこに信心の力がある。(「師子吼」の章、14ページ)

主体者として

自分は傍観者となり、ただ批判をしているだけでは、破壊ではないか。主体者となって立ち上がろうとしなければ、自分のせいちょうも広宣流布の建設もない。(「師子吼」の章98ページ)

自身の跳躍台

人生には必ず悩みはある。大変だな、辛いなと思うことも、題目を唱え抜いていくならば、むしろ、成長のための養分とし、自身の跳躍台にすることができる。(「恩師」の章、122ページ)

無明を打ち破れ

自身の宿命の転換は、人頼みではできないのだ。自らが真剣に信心に励み、無明の曇を破って、わが胸中に仏性の太陽を赫々と輝かせてこそ、可能となるのである。(「前進」の章、220ペー ジ)

本当の信仰

本当の信仰は努力の原動力となるものだ。いかなる人生の試練にも屈せぬ自身の力を引き出し、人間を強くするためのもだ。「前進」の章、328ページ)

広布を決するもの

広宣流布は状況のいかんが決するのではない。同志に脈打つ使命感と確信と歓喜ある限り、前進の大道は開かれるのだ。「飛躍」の章、336ページ)