世界広布の大道【新・人間革命 第17巻】

小説「新・人間革命」に学ぶ

今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第17巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は12日(木)付、「御書編」は18日付、「解説編」は25日付の予定。

第17巻基礎資料

物語の時期
1973年(昭和48年)1月1日~6月27日

「本陣」の章

1973年(昭和48年)「教学の年」が明けた。「広布第2章」に入って初めての新春である。山本伸一は、仏法を基調とした本格的な社会を開始するため、その源泉となる教学に力を注ぐ。この73年には別名「青年の年」とされたいた。伸一は、青年たちが仏法の多角的な展開を担う上で原動力となる、広布に生き抜く“師弟の道“の大切さを訴える。この年、彼は、「本陣」東京の再構築を最大のテーマとしていた。1月の新宿区、練馬区にはじまり、さらに、中野区、港区、渋谷区、世田谷区、千代田区、杉並区、目黒区のメンバーと記念撮影するなど、激励を重ねる。そして、「中野区兄弟会」をはじめ、各区で人材育成のためのグループを結成していく。さらに多摩方面の第2東京本部の幹部会にも出席する。2月18日、男子部は第21回総会で「生存の権利を守る青年部アピール」を発表。生命尊厳の立場から核兵器廃絶のための署名運動などへの取り組みを開始する。伸一は、社会建設に本格的に立ち上がった青年たちに大きな期待を寄せる。

〈1973年(昭和48年)元日、山本伸一は各部の部長会に出席。青年部の活動について協議した〉

師弟の道を歩み抜け

の部長会の席上、男子部の野村勇が、伸一に質問した。(中略)「『広布第二章』を迎えて、学会は社会に開かれた他覚的な運動を展開していくことになりますが、その際、心すべきことはなんでしょうか」伸一は即座に答えた。「師弟の道を歩めということです」その答えに、野村勇は、意外な思いがした。社会に開かれた運動を展開していくのだから、社会的に優れた多彩な人材を育成するしていくことではないかと、考えていたのだ。野村が一瞬、不可解な顔をしたのを、伸一は見逃さなかった。「君は、なぜ『師弟の道』なのか、疑問に思っているのだろう。それは、遠心力と求心力の関係たよ」伸一は、穏やかだが、力のこもった声で語り始めた。「仏法を社会に大きく開いた運動を展開するというのは、これは円運動でいえば遠心力だ。この遠心力が強くなればなるほど、仏法への強い求心力が必要になる。この求心力の中心こそが、師弟不二の精神だ。近年、青年部員には、社会で勝利の実証を示そうとの気概があふれ、社会貢献への意識も次第に高まってきている。これは、すばらしいことです。しかし、広宣流布という根本目的を忘れれば、社会的な栄誉栄達や立身出世に流され、信心の世界広布大道を軽視することにもなりかねない。(中略)真実の人間の道、仏法の道を歩み抜いていくために、師弟の道が必要なんです。(中略)語るにつれて、伸一の言葉に、ますます熱がこもっていった。(中略)「師匠と弟子の心が違っていれば、何事も成就できない。最後は、すべて弟子で決まってしまうんです。創価学会のこれまでの大発展は、師弟不二の、金剛不壊の団結によって勝ち得たものです。広宣流布に生きる、師弟の使命を深く自覚するならば、恐れるものなど何もありません」(「本陣」の章、15~20ページ)

「希望」の章

4月11日、山本伸一は、大阪・交野市に誕生した、創価女子中学・高校(当時)の入学式へ。「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」という信条を培うよう語る。また、共に卓球やテニスに興じ、励ましの対話を交わし、21世紀の「希望」である学園性を温かく育む。生徒たちは、彼の心に応えようと、通学途中に行き交う人々へのあいさつの励行や、最寄りの駅に花瓶と花を贈るなど、よき伝統をつくるために努力を重ね、地域に信頼と共感が広がっていく。伸一は多忙な行事の合間を縫っては学園を訪れ、時には、校長と共に校門に立ち、登校してきた生徒たちを、寮にも足を運ぶ。そして、1976年(昭和51年)、創価女子高校の第1回卒業式で、「互いに生涯の友として、美しき信義を貫き通していただきたい」との言葉を贈った。また、「何かあったら、会いにいらっしゃい。いつまでも一緒だよ」と何度も声をかける。82年(同57年)、創価女子学園は、男子生徒を受け入れ、関西創価中学・高校として新スタート。日本を代表する人間教育の城となっていく。

〈73年4月2日に創価女子学園(当時)が開校して以来、山本伸一は折に触れて訪問してきた。開校2年目の10月には生徒寮の「月見寮」を訪れた〉

愛する学園生のために

の時、管理者室の電話のベルが鳴った。伸一は、素早く、受話器をとった。「はい、月見寮です。山本でございますが、どうも初めまして・・・」「はあ、山本さん?」中学生の寮生への、母親からの電話であった。(中略)「・・・あっ、先生!こちらこそ、娘が大変お世話になります」伸一は、管理者に、その寮生を呼びに行ってもたった。その間に、彼は母親と話しをした。「今は、お母さんも寂しいでしょうが、娘さんは一生懸命に頑張っておりますよ。創価女子学園は最高の教育をしています。この恵まれた環境で学んだことの意義は、四十代、五十代になった時にわかります。安心してお任せください」彼は、母親の不安を取り除きたかった。安心があれば、元気が出る。(中略)ほどなく、中学生の娘が管理者室に来た。彼女が通話を終えて受話器を置くと、また、すぐに電話が鳴った。今度も伸一が受話器をとった。高校生の寮生に、娘からの電話であった。「管理人の山本です。お呼びしますので、しばらくお待ちください」(中略)姉は、電話をしきた妹に言った。「今、電話に出た人、誰かわかる?山本先生やで!・・・ほんまや!ほんまにほんまやで!」伸一はつぶやいた。 「どうも、信用しないようだね」爆笑が広がった。(中略)伸一は、親元を離れて暮らす寮生や下宿生には特に心を砕いていた。母親や父親が病気で入院したという生徒がいると聞けば、すぐに呼んで励まし、その場から実家にも電話を入れ、家族も激励した。彼の行動は迅速であり、手の打ち方は的確であった。それは権威主義や形式主義を排して、常に生徒のなかに入ることを、最優先していたからであるといってよい。(「希望」の章、189~192ページ)

「民衆城」の章

1973年(昭和48年)4月下旬、山本伸一は、聖教新聞社を訪れた東京・荒川区の同志と語らい、57年(同32年)8月の荒川区での夏期ブロック指導を思い起こす。その前月、選挙違反という無実の罪で大阪府警に不当逮捕された彼は、庶民の縮図ともいうべき荒川区から、民衆勝利の波を起こそうと、弘教の指揮を執り、1週間で荒川区の会員世帯の1割を超える拡大を成し遂げる。73年4月22日、墨田区両国の日大講堂で本部幹部会が行われる。墨田もまた、53年(同28年)、伸一が男子部の第1部隊長を務め、恩師・戸田城聖の願業である会員75万世帯の達成を誓い、奔走した地だ。彼は、墨田の青年たちに、広布大願に生きる師子たれと訴える。さらに、渋谷区、大田区、豊島区の同志へ全魂の指導を重ね、東京各区で、新出発の原点が築かれていった。5月8日からは欧州へ。フランスでは、欧州各国のメンバーの連携と強力体制を確立するために、「ヨーロッパ会議」が発足。英国では、前年に引き続きトインビー博士と対談。帰国の途次には、経由地のオランダでメンバーと座談会を開く。

〈1953年(昭和28年)1月、山本伸一は男子部の第一部隊長に就任。恩師の願業である75万世帯の達成を目指し、奮戦した〉

励ましの心を手紙に込めて

時、伸一は、戸田の事業を全面的に極めていた。また、学会にあっても、第一部隊長のほかに、全青年部員の育成の責任をもつ、教育参謀を兼任していた。そして、そのうえに、四月には、文京支部の支部長代理に任命されたのである。(中略)彼は思った。”これかのが本当の戦いだ。十分な時間があって活動することなど、誰にでもできる。時間がないかなで、工夫し、スケジュールをこじ開け、泣くような思いで戦ってこそ仏道修行ではないか。一歩も引くまい。断じて負けるまい”必死の一念は、無限の活力を、智慧を、湧かせる源泉である。広宣流布のために断じて戦い抜こうとする強き一念の前には、逆境はない。(中略)伸一は、思うように部員と会うことができないだけに、寸暇を惜しんで、皆に手紙を書き、激励を重ねた。(中略)彼のその真剣さと気迫は、第一部隊の青年たちに、大きな衝撃と共感をもたらしていった。伸一の姿自体が、最高の目標となり、指導となっていったのである。第一部隊は着々と拡大を遂げ、この年末には、伸一が部隊長に就任した時の二倍近い六百数十人の陣列となった。その躍進にメンバーは喜んでいたが、七十五万世帯の達成を思えば、まだほんの助走を開始したにすぎなかった。(中略)御請訓には「文字は是一切衆生の心法の顕れたるすがたなり」(御書三八○ページ)と仰せである。伸一は叫ぶような思いで、全精魂を込め、第一部隊の同志に、決起を促す便りを次々と書き送った。わずかな間に、何通もの激励の手紙をもらったメンバーもいた。「山本部隊長は、あれほど多忙ななかで手紙を書き、われわれの弱い心を打ち破ろうとしてくださっている。戦おう!断じて勝利しよう!」同志は奮い立った。その息吹は、全部員に波動し、拡大への燎原りょうげんの火のごとき、大前進が始まったのである。(「民衆城」の章、274~277ページ)

「緑野」の章

欧州訪問から帰国した山本伸一は、6月5日、福井県へ。福井は空襲、地震、台風など、幾度も大災害に見舞われてきた。県幹部会に出席した伸一は、郷土の蘇生は、皆の勇気と活動にかかっているとし、“福井のルネサンスを!“と力説。彼は、学会員こそ地域繁栄の主役であるとの深い自覚を促していく。7日、伸一は岐阜県を訪問する。県幹部会に先立ち、文化祭が行われる。彼は、「郡上一揆」を題材にした創作劇の、”命ある限り戦う”との叫びを聞き、出席者に、これが学会精神だと伝言。岐阜本部では、聖教新聞の支部員、通信員を激励する。10日、彼は、群馬県の伊香保でのスポーツ大会にし、皆と記念撮影。地元の群馬交響楽団で活躍する友などをと励ます。そして、群馬が”地方の時代”の先駆を切り、広布のモデル県にたるよう期待を寄せる。さらに、17日、茨城県を訪れ、25日には、北海道へ。代表幹部との懇談会を開き、「広宣流布は北海道から」との指針を贈る。伸一の間断なき奮闘によって、広布の「緑野」は広がっていく。

〈1973年(昭和48年)6月、山本伸一は岐阜指導へ。岐阜本部にある聖教新聞の支局の編集室にも足を運び、激励した〉

健康への努力と工夫

一がノックしてドアを開けると、数人の青年が懸命に作業に励んでいた。紙面の割り付けをしている人もいれば、原稿を書いている人もいた。(中略)皆、県幹部会の準備で多忙ななか、取材や編集作業に励んできたせいか、顔には疲れの色がにじんでいた。(中略)伸一は言った。「みんな、やるべきことはたくさんある。しかし、時間は限られているから、ついつい睡眠時間を削ってしまう。それも若い時代には、仕方ない面もあるかもしれないが、体をこわしてしまったのでは、なんにもならな。寝不足は万病のもであり、事故のもとだ。病気になったり、事故を起こしたりすれば、自分だけでなく、家族も同志も苦しむことになるし、社会にも迷惑をかけてしまう」(中略)伸一は、皆を見た。”忙しくて、十分に睡眠をとるなんて、とても無理です”と言いたげな、困惑した顔の青年もいた。伸一は、微笑を浮かべて言った。「では、どうやって、睡眠時間を確保するかです。みんな、それが聞きたいんだね」青年たちが頷いた。(中略)「人間は一日のうちで、ボーッとしていたり、身の入らぬ仕事をしている時間が、結構多いものなんです。そうではなく、『臨終只今』の思いで、素早く、全力投球で事にあたっていくんです。その原動力になるのが真剣な唱題です。特に朝が勝負だ。生命力が強くなれば、価値創造の活力も生まれ、能率を上げる智慧も湧くからね。また、夜遅くまでテレビを見たりして、夜更かしをしないことです。(中略)仏法は道理です。自己を律してこそ、仏法者なんです。ともあれ、健康管理は自分の責任で行うしかありません。力の限り戦い抜き、わが使命を果たしゆくために、体を大切にするんです」(「緑野」の章、374~376ページ)

第17巻御書

御文

御文

つるぎなんども・すすまざる人のためにはもちいことなし(御書1124ページ、経王殿御返事きょうおうどのごへんじ

通解

つるぎなども、進まない人のためには何の役にも立たない。

小説の場面から

〈1957年(昭和32年)8月、山本伸一は東京・荒川の同志に、弘教を進めるうえでの要諦を語る〉「ともすれば一度くらい話をしただけで、”あの人はだめだ””この人はだめだ””この人は無理だ”と思い込んでしまう。でも、人の心は刻々と変わる。いや、執念の対話で、断じてかえていくんです。それには自分の話し方に問題はないか、検討してみる必要もあります。たとえば、家庭不和で悩んでいる人に、病気を克服することができると訴えても、関心は示さない。病気の人に商売がうまくいくと訴えても、共感はしません。相手が納得できるように、いかに語るかーーこれも智慧なんです。(中略)

「勇気」こそ勝利の要諦

ともかく、智慧は、本来、無尽蔵なんです。その智慧が不可能を可能にするんです。そして、智慧というのは、断じて成し遂げようという懸命な一念から生まれます。必死の祈りこそが、智慧を生む母なんです」伸一はさらに、智慧が湧いたら、それを行動に移す「勇気」不可欠であることを訴えた。(中略)「無量という剣も、臆病であっては、使いこなすことはできません。苦手だから避けようと思う心。仕方ないのだと自らの臆病や怠惰を正当化しよという心ーーその自分の弱さに挑み、打ち勝つ勇気をもってください。そこに自身の人間革命があり、一切の勝利の要諦があります」(「民衆城」の章255~256ページ)

御文

そうじて日蓮が弟子檀那等・自他彼此でしだんなとう・じたひしの心なく水魚すいぎょ おもいして異体同心いたいどうしん にして南無妙法蓮華経ととなたてまつところ生死一大事しょうじいちだいじ血脈けつみゃくとはうなり(御書1337ページ、生死一大事しょうじいちだいじ血脈けつみゃく

通解

総じて日蓮の弟子檀那だんな等が、自他彼此じたひしへだての心なく、水魚すいぎょの思いで、異体同心いたいどうしんに南無妙法蓮華経と唱えるところを生死一大事しょうじいちだいじ血脈けつみゃくというのである。

小説の場面から

「自他彼此の心」とは自分は自分、他人は他人というように、自分と他人とを差別する、断絶した心である。たとえば、自分の利害ばかり考えて他者を顧みないエゴイズム、無関係を決め込む心、あるいは敵対視、また、己の感情を根本にした生き方といえよう。皆の心がバラバラに分断された、そんな集団に仏法の血脈が通うことはない。ゆえに大聖人は、そうした生き方を厳しく戒められたのである。また、「水魚の思」とは、切っても切れない同志相互の、密接不可分な関係を、深く自覚することである。互いに、広布の使命に生きる同志を、なくてはならない尊い存在として支え合い、敬い合っていくことが、「水魚の思」の姿といえよう。

異体同心の団結で前進

また、「異体同心」とは、それぞれの個性、特質を最大限に生かしながら、広宣流布という大目的に心を合わせて前進していくことである。大聖人は、総じては、御自身の生命に流れる血脈は、この「異体同心」の団結のなかに伝わり、「広宣流布」の大願に生きる、一人ひとりの生命に脈打つことを明言されているのである。(中略)一般的に、団結というのは、目標を成就するための一つの手段と考えられている。しかし、正法をもって万人を幸福にするための「異体同心」の姿は、それ自体が人間共和の縮図であり、広宣流布の実像である。いわば目的ともいえよう。 (「緑野」の章349~350ページ)

対話の醍醐味

ここにフォーカス「民衆城」の章に、1973年(昭和48年)5月の山本伸一の欧州訪問がつづられています。この時の伸一の訪問国はフランスとイギリスの2か国でした。オランダでは、師の欧州での諸行事の成功を祈念しつつ、“1%でもオランダにお迎えできるチャンスがあれば“と、唱題の渦が巻き起こっていました。池田先生は当初、モスクワ経由で帰国する予定でしたが、急遽、オランダ・アムステルダムの空港を経由する便に変更することに。しかも、1時間の待機の予定が、機体の整備で4時間ほど出発が延びたのです。空港には、十数人のメンバーが駆け付けていました。伸一は語ります。「お題目の力に勝るものはありません。何があっても唱題し抜いた人は勝ちます」「題目こそが、幸福の源泉なんです。どうか、このことを強く確信して、進んでいってください」その後、伸一はメンバーと共に空港近くの公園に向かいます。青空の下、風車小屋がある公園の芝生の上で、座談会が行われ、彼は一人一人に励ましを送ります。“青空座談会“は、オランダの友の「不滅の原点」です。それは、師の指導を求める真剣な祈りによって実現しました。「題目に勝力なし」--のこ確信で前進することが、広布の歴史を切り開いていくのです。

第17巻解説

紙面講座池田主任副会長


東日本大震災から9年がたった今月11日、池田先生は随筆「冬は必ず春となる」を発表されました。その締めくくりで、今再び心肝にそめたい御請訓として、「開目抄」の「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はされ現世の安穏ならざる事をなげかざれ」(御書234ページ)を拝されています。「民衆城」の章にも、この一節が出てきます。1973年(昭和48年)4月に行われた本部幹部会の場面です。山本伸一は、前月の本部幹部会でも、この御文を拝読し、「ここには、信心の極意が示されております。この一節を、生涯にわたって、生命の奥底に刻み込んでください」(268ページ)と呼び掛けます。世界が大きな困難に直面している今、私たちは大聖人の御確信を生命に刻み、社会の安穏と人々の幸福を真剣に祈りつつ、「知恵と慈悲の自分発の挑戦」に取り組みたいと思います。

🔹◇🔹

「広布第2章」の本格的な開幕を迎えた1973年は、「教学の年」であり、別名「青年の年」とされました。 「新しき発展のためには、教学の研鑽に励み、仏法の理念を究めていくことが不可欠」(26ページ)であり、 「青年が広布の全面に躍り出て」(26ページ)いくことが、広宣流布の方程式だからです。伸一は男子部に対して、 「自発の決意と能動の実践なき人は、もはや第二章の戦いを担う勇士ではない」(101ページ)と訴えます。広布の活動は、”誰かに言われたから”という義務や受け身ではなく、自らが誓いを立てて挑むものです。「自発能動」だからこそ、成長があり、歓喜があるのです。73年、伸一はまず本陣・東京激励に奔走します。その後、各方面・県の強化に全力を注いだことが、「緑野」の章につづられています。彼は以前から、 「それぞれの方面、県で、地域に即した広宣流布の構想と運動を練り上げ、自主的に活動を推進していく必要がある」(382ページ)と考え、県長制の導入を提案。この年の9月に全国的に布陣が整い、 「各県がそれぞれの特色を生かしながら、独自の広宣流布の歩みを開始」(382ページ)していきました。また、 「『世界広布第二章』の暁鐘」(316ページ)となる「ヨーロッパ会議」が5月に設立され、「パン・アメリカン連盟」(8月)、「東南アジア仏教者分科会議」(12月)の結成へと続き、2年後の75年(同50年)1月26日、SGI(創価学会インタナショナル)が誕生しました。「広布第2章」に入り、「地域広布」「世界広布」の展開を見据え、伸一は次々と手を打ちました。彼が、 「『今年こそ』の一念」(9ページ)で蒔いた種子は、見事に花開いていったのです。

遠心力と求心力

「広布第2章」を迎え、青年部は核兵器廃絶のための署名運動などに取り組みます。社会に開かれた運動を展開するにあたって、 「心すべきことはなんでしょうか」(15ページ)との青年部のリーダーの問いに、伸一は 「師弟の道を歩め」(16ページ)と答えます。彼は、「仏法を社会に開いた運動」を円運動の遠心力に、「師弟不二の精神」を求心力のに例え、 「遠心力が強くなればなるほど、仏法への強い求心力が必要になる」(同ページ)と強調します。そして、初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生の師弟の関係を通して、 「私も、徹底して戸田先生に仕え、守り、弟子の道を全うしてきた」(25ページ)と語ります。小説『人間革命』第10巻にも、 「師弟不二の道を貫くこと」(73ページ)の大切さが書きとどめられています。その道を歩むとは、 「師の意図が、脈動となって弟子の五体をめぐり、それが自発能動の実践の姿をとる」(130ページ)ことであり、 「困難にして強盛な信仰の深化を必要とする」(同ページ)と結論しています。学会は今、青年部の「SOKAグローバルアクション2030」をはじめ、数多くの平和・文化・教育の運動を展開しています。多角的な取り組みを推進するからこそ、私たちは「師弟」という根本軌道を、決して忘れてはなりません。 『新・人間革命』第17巻「本陣」の章に、 「『師弟の道』は峻厳である」(24ページ)と記されています。「峻厳」であるがゆえに、どこまでも「自行化他の実践」に徹し抜くことが肝要です。伸一は、戸田先生と心で対話してきました。 「先生ならば、どうされるか。今の自分をご覧になったら、なんと言われるかーー常に自身にそう問い続けています。(25ページ)。日々、師匠と胸中で対話しながら前進していく中に、自身の人間革命があるのです。

深い宿縁の学園生

73年元日に行われた各部部長会で、伸一は女子部のリーダーに、 「二十世紀は『女性の世紀』」(27ページ)と万感の思いを語ります。彼は、これから目指すべき女性像について、 「豊かな個性をもち、文化や政治などの社会的な問題に対しても積極的に関わり、創造的な才能を発揮」(113ページ)していくことのできる”全体人間”であると考えます。そして、 「女性が平和主義という本然の特質を発揮し、社会、国家、さらには世界を舞台に活躍していくための教育を行う学園」(111ページ)が、関西の地に開校したのです。「希望」の章には、創価女子学園(現・関西創価学園)の歩みが記されています。高校1期生は、伸一が事実無根の選挙違反の容疑で不当逮捕された「大阪事件」の年に生まれた世代であり、中学1期生は、第3代会長に就任した年に生まれた世代です。そこに、彼は深い宿縁を感じます。創立者の伸一は入学式で、 「理想を秘めた”日常の行動”のうえに、見事な伝統が生まれ、それが花咲き、次の世代へと伝えられていく」(131ページ)と語ります。この言葉を胸に、彼女たちは努力を重ね、学園の美しい伝統を築きます。それは、後輩にも受け継がれていきました。21世紀の開幕を目前にした2000年(平成12年)12月、関西女性総会の意義を込めた本部幹部会が開催されました。席上、伸一はこう語ります。 「今、時代は、音を立てて変わっている。社会でも、団体でも、これからは女性を尊重し、女性を大切にしたところが栄えていく」(第30巻〈下〉「誓願」の章、431ページ)平和を愛し、命を慈しむ「女性の力」こそ、21世紀を「生命の世紀」へと導く源泉です。

名言集

君が太陽であれ

どんなに深い闇でも、太陽が昇れば、すべては光に包まれる。太陽は常に燃えているからです。状況がどうであれ、君が太陽であればいいんだ。(「本陣」の章、69ページ)

人間革命の大舞台

苦闘するということは、自身の人間革命の大舞台に立ったということなんです。それを乗り越え、勝利した時の喜び、爽快感は、何よりも、誰よりも大きい。(「本陣」の章95ページ)

自他共の幸福

人間の偉大さは、自分のためだけに生きるのか、自他共の幸福のために生きようとするのかによって決まるといえる。(「希望」の章、170ページ)

地涌の菩薩の大生命

広布の使命を自覚し、戦いを起こしていく時、地涌の菩薩の大生命が、わが胸中に脈動します。それが何ものにも負けない強靭な生命力をもたらし、自らの境涯を高め、広げていくんです。(「民衆城」の章、323ペー ジ)

題目第一

不信というのは、生命の根本的な迷いであり、元品の無明です。それは不安を呼び、絶望へと自身を追い込んでいきます。その自分の心との戦いが信心なんです。その迷いの心に打ち勝つ力が題目なんです。ゆえに、題目第一の人こそが、真の勇者なんです。(「緑野」の章、328ページ)